「手を動かしている時間」だけにしか価値を感じれない世界のハナシ。

まいど、いおりんでござい。

フリーランスのエンジニアをやっていて時々、びっくりするのが、「頭を使って考えている時間はノーコストだと思われている」という事件です。

世の中にはどーやら、「手を動かしていない時間は仕事をしていないのと同義」という風潮があるようで、頭を捻って「どーすればいいかなー…」って考えている時間は恐ろしいほど軽く見られるんだよね。

また、同じくらい、「これまで考えてきた時間」や、「切磋琢磨してきた経験」も、ノーコストだと捉えられやすい。これって、本当にとんでもないことです。

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例えば記事を書く仕事があったとして、依頼側が思うコストは、「記事を書くために手を動かした時間」なんだよね。「どーいう記事を書くか考えた時間」は考慮されないことがとっても多い。

だから、「Aという記事を書くのに30分くらいかかった。報酬は2万円」だったとしたら、「なんて高給取りなんでしょう!時給4万円だなんて!」みたいな考え方をしちゃう。

実際には、「Aという記事を書くために考えた時間」や、「Aという記事を書くための経験・知識」などが総結集された結果の4万円なんだけれども、そーいう見えづらい価値、評価しづらい価値というのは認識されづらいんだよね。Aという記事は30分で形になったけど、30分の価値しかないわけでは、決してないわけです。

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本来、年功序列と呼ばれるものは「考えた時間や、経験・知識は年数を重ねるほどに増える」という価値観に基づくものだよね。20歳の人がやった仕事より、40歳の人がやった仕事のほうが、より質の高い仕事ができるはずだ、という考え方が年功序列を支える根本。(まぁ、それは「人によって違う」というシンプルな現実に否定されているんだけどね。)

この日本に根付いているはずの価値観も、なぜか一部のお仕事では全然根付いていなくてびっくりする。(デザインの仕事は、1/2〜1/10くらいの価値だと判断されることもあって、唖然とする…。)

価値嗅覚がない人には、「手を動かした時間」とか「実際に出した結果」という、目に見えて分かる範囲の価値しか捉えることができない。だから、「実際に手を動かしたのは30分なら、30分だけの価値しかないでしょ」というトンデモ論理が出てきちゃう。

それは逆の立場でも一緒で、自分のやったことの価値が「手を動かした時間」でしか捉えられないというのは、とっても致命的。「これは30分くらいで出来るから、2000円くらいだな」みたいな考え方をしちゃうのはほんっとーに危ない。

あなたが「30分でできる」というのは、あなたが生きてきた経験がフル活用された結果かもしれない。あなたが30分でできた仕事は、あなたが自分の生産性を向上させまくった結果かもしれないでしょ。その結果が「30分だけの価値」になっちゃうなんて、トンデモないことだよね。生産性向上の考え方を真っ向から否定してるし、人間の成長についても否定してる。

手の動かしている間なんていうのは、仕事の大半が終わった「結果」の部分でしかないんだよね。手を動かすまでのところに、価値は眠ってる。そこに気づけないと、ほんと危ない。

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私が「この仕事、こんくらいかな〜」って言うと、「そんなのすぐだと思ってた!」みたいに言われることは最近本当に多い。いや、すぐできるかもしれないけど、それは私が頑張ったからだからね、ってハナシだよ。

まぁ、そんな私も、友達からの知り合いだったら冗談みたいな値段で仕事するんだけどね。でも、そんな時でも、「本来は○○万くらいで、友達値引で○万ね」っていう風に、必ず元々の値段、価値を伝える。そーやって、その仕事の本来の価値について相手に伝えておきたい。そうしないと、私も相手も、価値について疎くなってしまうからね。

ばいびー♪

見えない価値に敏感になろーよ、ってね。

見えない価値に敏感になろーよ、ってね。