労働者をやめた独立者が持つ孤独とかのハナシ。
まいど、いおりんでござい〜。
起業を考えている人と会って話をする機会がちょくちょくあるけれど、私も“独立した人”なんだなぁ、と気付かされることが多い。
私はふわ〜っとフリーランスとなった。2014年10月にうつ病と診断されて会社に行かなくなり、2015年1月に会社を止めた。そしてそのまま、「会社に所属せずに生きていけるようになろう」と思って人と会っているうちに、ポツポツと仕事を頂くようになった。気付けば「フリーランスでやってます」と自己紹介するようになった。
「よし!私は今日からフリーランスでやるんだ!」なんて決意とか誓いは持っていなくて、「あくまで誰かの手助けをさせて頂く」という感覚だった。だから、「私は会社を辞めて独立した」なんて意識は全然持っていなかったんだけど、独立した人たちの孤独の話とかすると、すごい話が合うんだよね。
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私は今、「今からサービスをやりたいけど、Webとかについて分からない」という人に対して「私が手助けするから、その面白そうなサービスを一緒に成功させようよ」と言いたい。そのために、自分の力を使いたいと考えている。
そんなことを言っていると、まさしく事業をはじめようと考えていたり起業を考えたりしている知り合いからポツポツと話を聞かせていただくようになった。彼等と打ち合わせをしながらだったり、時にはお酒を飲みながら「どういう形で私が貢献できるかな」ということを話す。
するとさ。独立した者の孤独とかを分かち合うこともあってさ。そんな時に「あっ、そーか。私も独立した、いち事業主なのか」と気付かされるんだよね。感覚が独立者…つまりは事業主に近づいていて、だからこそ味わう孤独とか悩みも、一緒に考えられるようになった。
私の大学時代の知り合いはみんな労働者として働いているから、彼等と私とでは生き方が全然違うんだよね。お金の考え方、時間の使い方、リスクの考え方、何もかも違う。仕事の話をしていても、着目点が違っていて、そんなときはちょっと寂しい思いもするよね。私から、以前の友人たちが遠くなっている気がして。
もちろん、中には大学時代の友人でも、変わらず仕事について話せる人もいるんだけどね。「どのように働くのか」ではなくて、「何を成し遂げたいのか」「何のために働くのか」というレイヤーで話せる人とは話せるんだけど、「どのように働くのか」に着目した話は合わない。
同年代で独立しようとしている人とか、事業主をしている人とかを見ると、そこの孤独だったり、価値観だったりを共有できて、懐かしい楽しさがあるんだよ。それこそ学生時代に味わったような感覚がね。
独立した者と一緒にいたいことも多いけど、きっとそれだけだと面白くないよね。社会の大多数は「労働者」だから、その目線を持った人とは常に近くありたいし。それに、そもそも独立者とか労働者とか分けて考えるのもおかしいかもしれない。みんな大人になったからには、独立者のはずだし。
そんなことをふわふわと考えています。
ばいびー☆