いびつなリンゴ 1/2
最近、スガシカオさんの唄が気に入っています。
「夜空ノムコウ」の作詞者で有名ですね。
他にも映画デスノートの挿入歌である「真夏の夜のユメ」などタイアップ作品が多いので、
唄を聴けば「あ、聞いたことある!」と思う人は案外多いんじゃないでしょうか。
彼の楽曲はどれも共通して独特な部分があります。
「スガシカオらしさ」と言いますか、それが僕は凄い気に入っていて、
どの楽曲にもそれが潜んでいるので、結果的にどの楽曲も僕は好きになっています。
某所で「明るいネガティブ」と表現されていたのが印象的です。
確かにそんな感じです。
さて、その中の楽曲に「アシンメトリー」というものがあります。
恋愛に関する男視点の唄なのですが、ある部分の歌詞が心に残ってしまい、
色々考えているうちにお気に入りの唄になりました。
「半分に割った赤いリンゴのいびつな方を僕が貰うよ」
一見すると、男性がふと見せる優しさというか、そういうものが見える歌詞です。
しかし、スガシカオさん曰く、この歌詞は「優しさの押し売り」とのことです。
男性の優しさをうまく表現したと自信満々だったのですが、
『片方のリンゴがいびつならもう片方もいびつなのでは??』
という投げかけに、ぼくの自信は崩れ落ちました。
言われてみると、確かに男性が「優しくしたつもり」になっているだけなんですね。
そう思うと、今度は男性がふと見せる「優しさの押し売り」をうまく表現しているなぁと
思えてきます。
こう考えていくと、最初は女性のことを凄く思っている優しい男性の唄だったものが、
気付けば優しさを押し付けている駄目な男性の唄になっていることに気付きました。
しかも、そっちの方がリアリティがあります。
昔から「人に優しくしろ」と言われてきて、実際その通りに生きるべきだと思うのですが、
どういうものが優しさなのか、というところを疎かにしてきたなぁ、と感じます。
最近はむしろ、変に優しくしようとすると、余計なもめ事ばかり起きる気がしています。
「優しさ」というのは状態であって、行動じゃないのかもしれません。
「優しくする」という行動は、時に「優しさの押し売り」となってしまいます。
そうじゃなく、「優しい」という状態を維持するのが「優しさ」なのかな、と思います。
ちょっと分かりづらいですね…
続き→「いびつなリンゴ 2/2」