人生楽しくない、なんて言ってる人は楽しみに飢えていないんだよ、ってハナシ。
まいど、いおりんでござい〜。
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いおりんの行動はとっても直感的で、主観的です。行動するときの基準は「面白そうかどうか」だし、これはやめておこう、と思う理由も「みっともないから」「カッコわるいから」とか、自分の感性の部分を主軸にして行動している。
今の世の中は「論理的思考時代」とも言えるほど論理的思考や客観的思考がもてはやされているよね。
「論理的思考」っていうのは確かにとっても強力で、生きていく上でも便利だし、大抵のことは「論理的思考」を確実に使っていけば成功しやすいかもしれない。
でもね。自分の人生の行き先くらいは、感情的、主観的に決めてもいいと思うんだよ。「私がこう思うから、こうする」でいいじゃん、と。それが「価値観」って呼ばれているモノの正体でしょ。
自分の人生の指針にさえ「論理的に正しいかどうか」とか「客観的に見て正しいかどうか」とか持ち込むから、自分の人生は正しくないだとか、お前の人生もこうしろだとか、そーいうことを考え始めるんだよね。そーじゃないんだよ。他人から見てどーだとか、論理的に見てどーだとか、人生には関係ない。
そもそも「論理」っていうものは、その根底には「A=Bである(としよう)」という前提…言わば信仰心のようなものがあるんだよね。根底はとっても感情的で、主観的なものなんだよね。「客観的」っていう言葉も、「(その前提を信仰している人なら)誰が見ても」という前提がある。
その意識がないから、「論理的じゃない考え方(人生)は正しくない」なんて発想になっちゃうんじゃあないかな。
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多分だけど、論理的思考を自分の人生の指針に持ってくる人って、「自分が楽しむこと」にあまり飢えていないんじゃないかな。だから、楽しむことよりも、正しいかどうかとか、みんながやっているかどうか、とか考えちゃう。
私はそんなこと考えないもの。私は「これ面白そーだな」とか「これやるとカッコよくない?」とか、そーいうのをやるだけで精一杯。時間が足りないよね。だって、次から次へと楽しいことは出てくるし、「これ、一回飽きたのに、なんか今やると面白そーだな!」みたいなの出てくるし。それをやるので精一杯。
正しいと言われていることをやるのだって、「ここで正しく行く私、カッコいいね!」とか思っているだけだし、人に優しくするのも、「優しい私、面白くない?」って思うだけだからね。時々やって後悔するしね。「優しくしたけどカッコわるかったな…」って(笑)。
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人生が楽しくないなんて言っている人は、楽しさをもっともっと求めるしかないんだよね。幸せは歩いて来ないなんて、誰でも知ってるじゃん。楽しさも求めないといけないし、求めれば何だって面白がれるようになるんだって。
私なんて、セブンイレブンの高級オニギリをトンビに奪い取られても、すっげー笑ってるから。「くっそー、アイツ、200円くらいするオニギリだぞ、味わえよバカ!」って思いながら(笑)。
ばいびー★