人生は、判断基準の数だけ複雑になる、ってハナシ。
まいど、いおりんでござい。
いおりんは多分、とってもシンプルな人生を生きています。何事も複雑にするのが嫌なので色んなことに対してシンプルに対応するようにしています。
シンプルな人生ってどーいうことさ!ということに答えるとすれば、「判断基準が少ない」ということです。
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このブログでも度々言っているけど、私が何か判断を迫られたときの大きな判断基準は「楽しいかどうか」です。あとは「かっこいいかどうか」とか。
自分のセンスに頼った判断基準でも良いので、こーいう大枠の軸を1、2個持っておけば、人生はとってもシンプルになる。
例えば。人生が複雑な人って、おばあちゃんに席を譲るときに、「世間的には助けた方が良い」「でもおばあちゃんに断られないかな」「周りは変な目で見ないかな」「他の人がやってくれないかな」って色んな価値観や基準を持ってくる。その結果、他の人が譲っているのを見て「私はダメだなぁ」なんて思っちゃう。
でも私は、「譲るのと、譲らないの、どっちがカッコイイ?譲ったほうがいいよね!」という基準しか持たない。「断られてたとしてもカッコイイでしょ」と思うから、悩まない。行動基準が整理されていて、とってもシンプルでしょ。
例えば。大勢でご飯を食べに行くときにもメニューをずーっと見て中々決められない人とかいるでしょ。あれは、「メニューから食べ物を選ぶ」ということに対して判断基準を多く持ち込みすぎてて、物事を複雑化しちゃってるんだよね。
どれだけ難しそうな出来事が目の前に飛び込んで来ても、判断基準が絞り込まれていれば物事はシンプルになるのだ。
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GACKTさんは「やりたいと思ったことは全部やる」ということを自分ルールとして決めているそうです。例えば「海に釣りに行きたいな」って思ってしまったら、例え真夜中だろうと準備して車を飛ばして釣りに行くそうです。
GACKTさんは行動の判断基準のトップに「やりたいと思ったかどうか」を置いているんだよね。だから、きっとGACKTさんの人生もとってもシンプルなんだと思う。
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といっても、常に「私の判断基準はこれだ!」なんていうのは見つからないかもしれない。そーいう時は、「自分ルール」を積み重ねてみよう。
「自分ルール」なんて難しいこと言ったけど、要するに「こーいう時はこーする」というモノ。「ごめんなさいじゃなくてありがとうと言う」とか「なるだけ階段を使う」「老人には席を絶対譲る」とか、そーいう「AならばB」というルールを積み重ねるだけでも、人生はずっとシンプルになる。
自分ルールを積み重ねると、やがて自分のおおまかな判断基準が見えてくる。「こいつ、こう考えて行動しているな」というのが分かってくる。そーなればこっちのもんだ。その通り正直に生きてみれば良い。
関連: 相手がどうとかじゃなく、自分のこだわりを持ってカッコよく生きよう、ってハナシ。
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実は私の親族は結構、物事を難しく複雑に考える傾向があって、私はよく「なんでみんな、そんな難しく考えるのかな」と思っていた。きっとみんな、「何事にもあらゆるデータから正確に判断しなければいけない」と思っていたからだと思う。
そもそも正確な判断なんて必要ない。失敗しまくりゃいい。失敗しながら気付いていけばいいとおもうよ。今からでも。
ばいびー☆