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Stay Gold, Ponyboy.

私はお墓に先祖代々の魂が入っているなんて思わない、というハナシ。

まいど。いおりんです〜。この記事を書いている本日は雨です。雨はやだね。傘を差さないといけないからね。片手がふさがっちゃう。

さて、今日は「お墓」というモノについて考えてみましょーか。

私は昔から「お墓」というものを信じません。宗教に力があるとは思うけれど、神様・仏様や、幽霊といった類は実在しないと考えています。

こう考え始めたきっかけは中学生の頃に読んだ漫画「GTO」で出会った言葉だと思う。「人間は死んだらたんぱく質の塊になるだけ」といった類の言葉だったんだけど。その言葉に出会って以来、「確かにその通りだよな〜」と想い続けています。

少なくとも死んだ人の魂がお墓に眠っているとは一切思っていない。私にとって葬式とは、節分の豆まきや入学式と同じ「儀式のひとつ」でしかないんだよね。節分の豆まきの時に、本当に鬼がいるとは思っていないでしょ?葬式とかお墓参りも、それと同じなんだよね。

こんなことを書くと血も涙もない人間だと思うかも知れないけど、神様だとか霊魂だとかいうオハナシは、実在するかしないかなんて問題じゃなくて「私自身」がどう思うかが問題なんだよね。哲学者デカルトの「我思う、ゆえに我在り」の精神に通ずるけど、世界の真実っていうのは「私自身」がどう思っているかが全てだからね。

そういう意味で言えば、私のような「霊魂なんて世の中には存在しない」って思っている人と「霊魂は存在していて、先祖は私たちを雲の上から見守ってくれている」って思っている人は違う世界にすんでいるんだよね。あくまで同じような世界を舞台にしているけど、1人1人違うパラレルワールドに住んでいるんだよ。

参考: 我思う、ゆえに我在り – 哲学的な何か、あと科学とか

私にとって死んだ人の魂というのは、遺された人たちの心の中にいると思っています。だから、私の死んだじいちゃんは、お墓の中になんかいなくて、私の心の中にいると思います。目をつぶれば笑ってくれる。

何度も言うけど、それが実在するかしないかなんて大した問題じゃない。私がそう思っている以上、「私の世界では」それが真実なんだよ。

その上で、私は「霊魂なんて墓には残らない」と思っている。墓参りという風習はカッコイイから好きだけど、私自身、自分の墓を造ることに何の価値も感じないんだよね。

私が死んだら私の魂がどこに行くかなんて皆さんが決めてください。私のほうで分かったら教えてあげるから。まぁ皆さんより私のほうが長生きしてやるけどね!

また次回〜。

お墓は「その人が作った作品」くらいだと思ういおりん。
お墓は「その人が作った作品」くらいだと思ういおりん。

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