知らない道を走るのが好きだ、というハナシ
うっす。いおりんでございまする。くるしゅーない。
最近、定期的に走る習慣を復活させました。距離を測るために、iPod touchのNike+を使ってるんだけど、「今日は5kmくらい走ろう!」と思っても、なぜか7kmくらい走っちゃうんだよね。
「5km走った!」って思っても、家まで帰らないといけないから。
「どっちの道が面白そうかな」で判断して走るのが好き。
よく、「皇居外苑」とかで、同じところをグルグル走っている人を見かけるけど、私はあれができないんだよね。同じ景色の中だけで走ると、なんか飽きちゃう。あれに耐えられる人って、ほんとに「走ること」が好きなんだろうなぁ、と思う。
私は、とりあえず家を出たら、気が向く方向に走りだす。「今日はこっち行こっかな〜」と走り出す。で、道中で遭遇する分かれ道も、「どっちが面白そうかな」で判断して道を決めていく。
だから、気付いたら全然知らない道を走っていることなんて、しょっちゅうある。そこで、「こんな店あるのか」とか「何このワクワクする道!」とか思いながら走るのが好きなんだよね。
同じ場所でも、明日は違う顔かもしれない。
これって、散歩の延長線上なんだよね。散歩も、同じような判断基準で知らない道を練り歩くのが面白い。
知らない道じゃなくても、同じ道でも面白いんだよね。同じ場所でも、違う時間なら見せてくれる顔は違うんだよね。場所っていつまでも同じ顔を見せていない。今日歩いた道は、明日は違う顔を見せてくれるかもしれない。
こういう面白さ、同年代では共有しても同意を得られなくてちょっぴり寂しいんだよね。。フツーは20代っていうとイベント重視で、場所に意味を感じないのかな。
ほら、小学生の頃とかって、何でもない下校道が冒険だったでしょ?私の感覚ってあの頃とあまり変わっていないんだよね(笑)。今でも、謎の階段とか見つけるとワクワクして進んじゃう。
そーいうの、大人になったら忘れる、っていうけど、全然忘れられない。楽しーんだもの。ふふ。
「大人になる」と「子どもじゃなくなる」はきっとイコールじゃないんだろうな。大人びた子ども、子どもじみた大人でありたい、いおりんなのでした。ばいばいきーん☆