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Stay Gold, Ponyboy.

ONE PIECE FILM REDについておもったこと。

ONE PIECE FILM REDを観た。

2022年に大ヒットした映画だし、ワンピースは好きだから見ておこうかな、くらいの感覚で観させていただいた。

ここから先はネタバレも含んで色々書くので、そこのところよろしく。

いいですね?

はい。


これまでワンピース映画はストロングワールドとFILM Zくらいしかまともに観たことはないんだけど、FILM REDは毛並みを変えてきたなと感じる。

映画内におけるモチーフというか、物語の軸となるものが「強大な敵」ではなく、「悲劇の少女」で、その少女ウタの物語になってる。

例えばワンピース本編でも、ナミやロビンは悲劇の少女の物語だったけど、そこにはアーロンやCP9(世界政府)といった強大な敵が裏にいて、その敵を撃ち倒すことで悲劇から救う……というハナシだった。

今回のFILM REDでは、そーいう「強大な敵」がいなくて。正確に言えばウタが「悲劇の少女」と「強大な敵」の両方を担ってるわけだけど、これらは相反する関係になってない。ウタを倒してもウタは救われない。

つまり「打ち倒すんじゃなくて救う」という方向で物語をゴールに導く、という点で方向性が全然違う。

その上で。

じゃあどうやって救うんだ、と言う部分が弱いというか、うやむやに終わった感がある。

ウタは、「シャンクスの義娘」で「ルフィの幼馴染」なわけで、この2人がウタをどう救うのか、というのが物語の軸になる。

ウタは幼少期にシャンクスに裏切られ、捨てられた過去を持つわけだけど、「実は事情があった」なんてみんなわかる。そして、シャンクスが何かしらアクションをとってくることもわかる。

そこにプラスして何か要素があるのかな?と思ったけど、実際にシャンクスが会いにきただけでその辺りは特に何もなかった。

そのあとはウタが暴走して混戦に突入したから、「倒すんじゃなくて救う」という物語が、「強敵を倒す」というハナシになってしまった。

その倒し方も「ウタ世界と現実世界で同時に殴らないと倒せない」というのが、「シャンクスとルフィを直接出会うことなくリンクさせたい」という設定ありきで生まれた倒し方に思えた。

「エレジアに眠る伝説の子守唄の力で救う」みたいな、なんかこんなのでも良かった。その唄を現実のシャンクスとウタ世界のルフィが協力して見つけようとして、そこに立ち塞がる強敵。。とか。

最終的にウタも救われたんだかどうだかわからない終わり方だったし、「救った気になってるけど打ち倒しただけ」という状態で、個人的には消化不良気味だった。

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シャンクスとルフィは会ってはいけない、という物語上の制約がある。

頂上決戦でもその後でも、何度か近くにはきても顔は合わせない。「一人前の海賊になるまで会わない」という約束があるし、読者側もそこの再会を楽しみにしてる。

だから「ウタ世界」と「現実世界」という、ある種のパラレルワールドを用意したんだと思うんだけど。

その能力が「ウタウタの実」の能力、というのはちょっと解釈が広すぎる気がした。

ユメユメの実とか、ネムネムの実とか、眠りや夢に関連する実のほうが良かったように思う。歌姫設定が先行してるけど、実際、能力の使い方はほぼ「夢を見させる能力」だし、「自分が寝たら失効する」という弱点もユメユメの実っぽい。

ウタのキャラ像ありきで「ウタウタ」になってしまってるんじゃないかなぁと邪推してしまうくらい、ちょっと乖離しているよな、と思った。

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あとやっぱ歌多いな。ウワサには聞いてたけど、それにしたって多い。

多い上に、歌が映画の演出と分離したものになってるというか。歌ってる間は劇中の効果音が弱くなって、歌のバンドサウンドが前面に出てる。これが「AdoのPV」と揶揄される要因の一つじゃないかな。歌ってる間は、「映像とは別撮りでレコーディングされた音源を聴いてる」と言う感覚が強い。

ウタが歌うことで能力を発揮するから戦闘中とかもひっきりなしに歌っているんだけれど、こう、「カラオケの映像でも見てるのか」と思うくらい、映像の音響が弱くなる。

一曲とか、OPとEDだけとかならいいけど、6、7曲くらいあって、ほとんどが上記の別撮り感覚だから「これ何を見せられてるんだ」と何回か思った。劇中歌というよりCM見てる気分に近い。

Adoの歌声や演出にハマってる人は楽しいと思いますが、オイラは全くと言っていいほどハマってないので。。

主観だけど、Adoさんの歌は上手いんだけど、万人受けする歌声ではないと思っていて。歌声がサウンド的と言うか、歌詞をしっかり届けるタイプの歌手さんじゃない。

そんな彼女の歌声は「ワンピース世界で一番支持されてる歌姫」と言う設定とはあってないように思う。

さらにウタの曲たちもハイテクサウンド寄りの曲だから、「海賊の被害者たち」「搾取される側に寄り添う」と言う側面が弱い気がする。

育ての親はどちらかというとクラシック寄りのキャラ付けがされていたから、どうもあのウタのハイテクPOP、シティサウンドが生まれてくるとは考えづらい。

製作はAdoさんが売れる前に目をつけていたらしいし時期的にもそうだと思うけど、とは言えAdoさんの歌声が先に立ってて、物語の要素と上手く繋がってないように思えた。

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多分、描きたかった要素の一つに「現代のネット社会のこと」がある気がする。

ウタも配信ライブで人気が出た、という設定だし、途中、ウタ世界で一般人が言い合いになるシーンとか、ハイテクサウンドとか、いろんなとこに現代ネット社会の要素を感じた。メタバースとかね。

それを描くならAdoさんの起用や、ウタのあの音楽性は正しい。

でもその描きたいことが、映画の物語、ワンピースの世界観と微妙にズレてしまってて、チグハグ感が出てるように思う。

やや暴力的に言ってしまうと「ワンピースじゃなくていい」というハナシになってしまってる。

実際、ほとんどの登場人物は「なんか原作に出てきた必殺技を出すだけ」か、「舞台装置」くらいになってる。ゾロやナミでさえ、戦闘シーンで必殺技を出すか、相槌を打つだけになっていた。

「ロビンだけが読める古代文字を読んで謎を解く」なんて舞台装置すぎて少し笑った。ロビンさん毎回こんな役割だな、と。

ストロングワールドとかで「ゾロは毎回、剣士と戦わされるな」とおもってたけど、まだその方がゾロである理由があった分マシだったかもしれない、と思った。

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ウタが、「私は赤髪海賊団の音楽家だ」と宣言してるシーンがあって、ここはすごい良い設定だなと思った。

ルフィが物語序盤から「仲間に音楽家は必須だ」とずーっと言ってたけど、実はそのルーツが「赤髪海賊団には音楽家がいたから」というのはとても良いな、と。

「赤髪海賊団の(元)音楽家」という設定だけで一本の脚本が書けそうなくらい、優れた設定だと思う。

それが「シャンクスの義娘」「ルフィの幼馴染」という設定とともにここで消費されたのはとてももったいない。全部、別々の映画が作れそうなくらいなのに。

全体的にもったいない。

赤髪海賊団の元音楽家が出てくる映画なら、ブルックとかもスポット当てられるし、マンネリな方向性にも少しメスが入れられるかもしれないのに、ほんとーにもったいない。

今作、音楽の話なのにブルックは「楽譜が読める」くらいしか活躍してなかった。

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あと「もったいない」で言えば、ウタの育ての親ゴードンの声優さんに津田健次郎さんを使ってるのは非常にもったいないと思った。

津田健次郎さんは特徴的な声で、なおかつ渋い壮年の男の声。一方、ゴードンのキャラ付けは渋さはあるけどキャラデザはフランケンシュタイン的で、やや感情を抑えたようなキャラクター。

演技は抜群にうまかったんだけど、正直あってないように思えた。もっと他に使うべき場所というか、良い役があったんじゃないか、と。。

これは邪推なんだけど、正直「話題性で選んでない?」と思ってしまった。今作、そーいう乖離が多い。

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他にも気になるシーンはいくつもあった。

例えばウタ世界でウタとルフィが大食い競争したり一緒に騒いだりしてる間、ライブの観客たちは何もリアクションをとってなくて。

ルフィは頂上戦争などで世界中に顔が割れてる海賊で、ウタは非搾取側の味方なんだから、観客から「なんでそんなやつを壇上にあげてんだ」みたいな不満はあっても良い気がするけど何もない。

そもそもライブ中に幼馴染とワイワイやってるところを見せられてる時点で、なんで観客は何も言わずに見てるんだ、と気になってしかたなかった。その間、歓声とかもなかったんじゃないかな。

休憩中なのかな?と思ったら、その後いきなり観客に呼びかけたり、「どーいう状況?」っていう場面が多かった。

海軍大将も、藤虎は世界の危機なのに重力まったく使わないし、黄猿はお前何回ベン・ベックメンに銃突きつけられて抑え込まれてるんだ、とか。緑牛いたら一般人傷つけなくて救えただろ、とか。シャンクスも覇気さっさと使ってたら海兵に銃使われずに済んだだろ、とか。

こーいうのはどの映画も大なり小なりあるもんだけど、それを気にさせないのが演出、脚本の力だと思ってて。オイラはそーいう演出・脚本の妙に騙されやすい(映画に集中しやすい)人なんだけれど、今作は脚本の根幹に気になる部分があって演出がカバーしきれてないから、些細なとこまで気になってしまった。

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複数のテーマがマッチしてないために起きたチグハグ感が、映画全体のバランスを崩してる……というのがまぁ、総体的なオイラの感想。

「Ado起用、ネット社会の描写」と「音楽を軸にした親子愛の物語」が噛み合ってない。

パーツパーツで言えば、Adoさんの歌は素晴らしいし、個々の声優さんであったり作画であったり、といった部分は本当に素晴らしかったから、そこが評価されるのはとてもよくわかる。

でも全体で言えば、オイラとしては「ストロングワールド」や「FILM Z」に比べると肩透かしかなーーというのが正直なところ。

(映画から少し外れるけど、個人的にシャンクスの声に池田秀一さんはどうかな・・・?と思った。こっちこそ津田健次郎さんで良かったんじゃないか?と思う。時代的にまだいなかったとはいえ・・・池田秀一さんは、こう、アイスバーグやカタクリとかのほうが合うと思う。)

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脚本で言えば今やってるゲーム「ONE PIECE ODYSSEY」のほうがずっと良いと思う。

まだまだ序盤しかプレイしていないんだけど、多少突飛というか、ゲーム的なところもあるけれど、いわゆるゲーム的な都合部分と、物語上の辻褄の合わせ方は、FILM REDよりも全然上。

尾田栄一郎さんがODYSSEYを見て「映画かよ!」っておっしゃってたけど、FILM REDに比べればODYSSEYのほうが断然映画寄りなんじゃないかな。。

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