日々感じる怒り
最近強く思うことがある。それは、「2年で自分自身のビジネスを成功させる」ということだ。
私を知っている人からすれば、「イオリンがビジネスなんて」「イオリンが2年越しの計画を立てるなんて」と驚くかもしれない。また、ある人は「イオリンにそんなの無理だよ」「また絵に描いた餅の話か」と思うかもしれない。事実、私はやる前に「とりあえず言ってみる」というところがあり、なおかつ「飽き性」という困った性分も自覚している(これで何人もの人に迷惑をかけただろう。)
ところがこれは大マジだ。大マジに思っている。
なぜそんなことを思っているかというと、ひとえに「怒り」からだ。私は今、「怒り」をエネルギーに変えて行動している。
ここ最近、首都圏で暮らしていると怒りが湧いて仕方がないのだ。福沢諭吉の著書「こころ」の中で、「精神的に向上心がない者はバカだ」という言葉が出てくる。ここでいう「バカ」を日々目にする頻度があがっているからだ。
東京に住んでいる人の半分くらいは、いわゆるSnobだと思う。Snobとは、「上流気取りの俗物」「インテリ気取り」という意味だ。
東京にはオシャレな人が多い。オシャレな服装や、キマった髪型(余談だが、私には極端に刈り上げたツーブロックがかっこいいと全く思えない)に身を包み、これまたオシャレなカフェやコワーキングスペースなどを利用している。
だが、彼らの多くには品性が足りない。高そうなバッグやキマった髪型、オシャレな服に身を包んでいても、その行動一つ一つから欠けた品性が顔を覗かせているのだ。
電車では我先に空いている席に座ろうと人を押しのけ、スターバックスでは怒られないからと、300円ほどのコーヒーで何時間も居座って電源を食いつぶす。そして「今日も東京でオシャレで最先端な1日を過ごした」という優越感を得ながらInstagramに投稿するのだ。
どいつもこいつも、個人主義の都合のいいところだけをかいつまんだ人たちばかりだ。彼らは「個人を尊重している」のではなく「自分を尊重している」のだ。何食わぬ顔で自分のワガママを押し通そうとする人ばかりなんだ。
そしてそんなワガママで割りを食うのは、知性と品性のある人たちなんだ。
これは仕事の世界でも見られる。
自分は賢いと勘違いした人たちが、今日も誰かを騙して、不当に利益を得てお金を稼いでいる。ある者は既得権益に包まれて罪悪感を抱くことなく会社の利益を食いつぶし、ある者は善意ある人々からお金を巻き上げる。
「Win-Winではなく小さなLoserを作って自分だけがWinnerになろう」としている人ばかりだ(この言い回しはお気に入りのドラマ「リーガル・ハイ」から)。
誰も彼も、生産性や成果について真面目に考えようとしていない。多くの人は、誰からも怒られないように最低限の仕事をして、忙しいフリをしているだけなんだ。そしてその最低限の仕事を「最大限の成果です」と誇張する。毎朝会社に来て、無駄な資料を大量に印刷し、毎晩家に帰る。それが東京のビジネスマンがやっている仕事の多くだ。
大手企業にいる知り合いがこんなことを言っていた。「うちの企業は1割のスーパーマンが、9割の無能を支える介護施設だ」と。また、別の友人は仕事の合間に調べたところ、親会社の2/3は仕事していないと言っていた。どちらも、誰もが名を知る大企業様だ。
そしてこちらも、割りを食うのは、まともで知性のある人たちだ。彼らは今日も誰かに食いつぶされている。日々悩みながら。
さらに最悪なのは、被害者たちでさえ、そんな現状を誰も変えようと真剣に思っていないところだ。
SNSでは辛い辛いと愚痴を垂れ続け、今日も今日とてスマートフォンを凝視して今が過ぎるのをじっと待つ。そして変革が起きた時に初めて言うのだ。「私は初めからわかっていた」と。敢えて言うが、愚かだ。
もううんざりだ。
俺はそんな愚かな現状からはさっさと去りたい。愚かな人たちとは一切関わらず、私が関わりたい、品性と知性の溢れる人たちと共に楽しんで生きていたい。
そのために、自分で、自分だけで稼ぐようになる。ならなければいけないんだ。