Stay Gold, Ponyboy.

人間はみんなクズなんだから、好きに生きればいい、ってハナシ。

まいど、イオリンでござい。

今日はちょっとマインド的なことを書こうかと思います。

私は基本的に「人間ってクズ」だと思っています。

私だってもちろんクズだし隣人も恋人も両親も赤子も、須くクズだと思っています。まぁここで「あれ、この人が言っているクズと、私が言っているクズって違うんじゃ?」って思いますよね。なので定義しますけれど、「みんな自分勝手で他人のことなんか気にしない」ってことです。そーいう意味で、みんなクズだと思っています。

そしてもう一つ。私は「人間はクズでも全く問題ない」と思っています。みんな好きに生きたらいいと思うし、そのぶつかり合いこそ健全だと思っています。なので、「こいつクズだな」と思ってもその人を嫌いにはならない。

「クズであること」ってとても動物的なことだと思います。だって犬や猫もクズ野郎でしょ?他者のモノでも容赦なく奪うし、眠たかったらすぐ寝るし、待ち合わせだって守らない。そこら辺で排泄する。ゴミも放ったらかし。人間的な感覚で言ったらめちゃくちゃクズでしょ。でも、それは動物だったら当然だし、健全なことでもある。

つまるところ、クズってことはとても動物的なことで、私はそーいう動物的な生命力がとても好きなので、そーいう「クズ」は好きです。

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私が問題だと思っているのは、「クズなのに正義だと思い込んでいること」です。まるで世の中には「正しい振る舞い」というモノが存在し、それを守ることこそが正義だ、と言ったような。そーいう人は、クズじゃないかもですけど、嫌なヤツです。

まぁ百歩ゆずって、その人が本当に正義だとしたらスゴイですけど、実際そんな正義のカタマリみたいな人間いないですからね。大抵は「正しさ」を身に纏うことで優越感を得ているだけで、心の中は自分勝手なクズ野郎ですから。

自分の行動に「正しい」とか「常識」とか、そーいうモノを背負っている人は嫌なヤツです。

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私は、「もっとみんな好きに生きればいい」と思っています。どうせクズ野郎で自分のことしか考えられないんだから、正しいとか間違っているとかどーでもよくって、あなたが生きたいように生きればいい。そして同じように、他人が好きなように生きることを許せばいい。

でも、これは他人の悪意を甘んじて受け入れろ、ってわけでもなくて。他人はあなたに悪意をぶつけてもいいし、逆にあなたはその相手に対して抗いまくってもいいってことで。そこで、正しさとか善悪とか、そーいうモノに縛られて悪意に抗うことをやめにしないでほしいなってこと。

もちろん、あなたが「正しい行いをしたい」と思っているならそれでいいんだけれど、あなたの行動のスタートにあるのは「あなたがやりたいと思っていること」であって、「正義」をスタートに置いちゃいけない。

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私個人で言えば、昔っから正義とか善悪とかはあんまりわからなくて。例えば「自分とか大好きな人とかが誰かに危害を加えられたとしたら、絶対にやり返す。倍返しだ!」って思っているほうの人間で。例えそれが社会の倫理に反することでも全く気にしなくって。

それを言うと友人に「お前サイコパスなんじゃね」みたいなことを言われるんだけれど、誰かに悪意をぶつけられて、それでも黙って見ているのが人間として正しいとか、絶対に納得できなくって。むしろその正しさとやらで苦しんでいる人もチラホラ見かけるわけで。

なんかそーいうモヤモヤというか、怒りが溜まって仕方なかったので文章にしました。

ばいびー☆

こーいうところでのんびりするのが好き。

5 Replies to “人間はみんなクズなんだから、好きに生きればいい、ってハナシ。”

  1. かんばやし より:

    集団の秩序を守るためには「クズ」的なところを殺しておかないといけないかなと思う。
    「クズ」的なところを持ってる前提で、それを殺してくれてありがとう、お互い様、の関係が続いている状態がいわゆる「信用」なのかなと思う。

    • イオリン より:

      コメントありがとうございます。

      私は、そもそも人間がクズ的なことを殺して生きることはできないと思っていますし、できたとしてもそれはとても不健全なことだと思います。
      「クズ」は人間の本質の一部だからです。動物的なところをクズと呼ぶようにしているだけなので。

      集団の秩序を守るためには、「クズ的なところを殺す」というような無理のある手段ではなく、むしろ「クズ的なところをうまく生かす」というほうが、ずっと健全だと思います。言い方は悪いかもしれませんが、「犬に餌をあげて芸を仕込む」かのような。

      • かんばやし より:

        うん、クズ性を殺して成り立ってる関係は居心地が悪いと思う。それだけで秩序を守るのも、無理があると思う。
        無理があってもそれが手段としていちばん手っ取り早いと思う。クズ感MAXの関係づくりは拒絶されやすいし、クズを殺して関係を作って、少しずつ本質を出して最適化していくのが、また人間らしいのかなと思う。

        それよりすごく深くて強い関係になると、こんどは本質を出す人が信用されて、本質を出さない人が信用されない状態になっていくと思う。
        いおりんの憤りは、その状態で生まれているのかなと想像しました。

        • イオリン より:

          またもや!ありがとうございます。

          クズ性を殺すことで関係性を保つのは手っ取り早いですが、安易で長続きはしないと思います。クズ性を殺す礼儀ではなく、クズ性を活かす礼儀(=自分勝手な礼儀)でいいんじゃないかな、と。

          私の憤りは、「好きなように生きることを常識とか正義とか、そーいう言葉で侵害しないで」ということです。クズだからこそできる善意とか優しさもきっとあって、それを上手く活かすほうが、みんな好きに生きれてでも平和でいいのにな、と。
          (私自身、クズ性を殺すのが下手で、クズ性を自分で上手く利用して生きてる人間というのもあると思います。)

          まぁ「クズ性を殺したい!」って思う人は殺せばいいと思います。ただ「クズ性を殺せ!」と他人に言うのはどーなんだ、と、いうことです。

  2. かんばやし より:

    信用が必要なところではクズ性を殺していけばいいし、必要なければ殺さなくていいんだと思う。
    どこで信用が必要だと思うかはその人の生き方によって違うと思うし、人の生き方だからクズを活かすも殺すも自由だと思う。

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