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Stay Gold, Ponyboy.

「傷つくなあ」という言葉が好き、ってハナシ。

まいど、イオリンでござい。

私は最近、「傷つくなあ」という言葉が好きだ。これはとある映画で出てきたセリフだ。といっても、別に「傷つくなあ」自体はなーんの変哲もない言葉なんだけれど。

でもさ。私たちって普段「傷つくなあ」って言うか、って考えれば、言わないよね。なんか分からないけれど、「傷つくなあ」って口に出しちゃうようなシチュエーションは絶対避けなければいけない、って私たちは思っているよね。

もちろん誰かを傷つけることは避けたほうがいいとは思う。避けたほうがいいけれど、でも人と人とが関わり合うなら、誰かを傷つけることは絶対避けられないんだよな。陳腐でチープな言葉になるけれど、人は生きていくなかで必ず誰かを傷つけてしまう。

でも、私たちは傷つけてしまうことを恐れてしまうあまり、傷つくことを誤魔化すようになっていないかな。確かに傷ついたのに傷ついていないように振る舞うことで、「世の中は傷つかないで生きていけるんだ」という前提条件を作り出そうとしているような。そんな気がするんだよな。

傷ついたのに、傷ついていないように振る舞うことって多分、すんげー辛い気がするんだよね。それが余計に傷ついてしまうし、コミュニケーションも歪んでしまう。傷を隠すより、「傷つくなあ」と口に出せる関係こそが実は健全なんじゃないの、と。

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ちなみに、私が観た映画ではこんな感じ。

ある人物Aが親友Bからの少し手が込んだサプライズプレゼントのせいで大変な目に遭い、旅に出ている親友Bを追いかけて真意を問いただした。そして山奥でBと再開してサプライズの意味を知ったんだけれど、実はAはそのサプライズプレゼントを捨ててしまっていた。

A「気付かなかった…。あれはもう、捨てたよ……。

B「分かりにくいサプライズなんかして悪かった。けど……傷つくなあ。」

勘違いしたAも悪かったけれどAはばつが悪くなって言い訳をしようとする。

A「……でも、なんでそんなサプライズを——」

B「おい、あんなとこでフットサルをしてるぞ。混ざりにいこう。」

Bはそういって走り出していってしまう。

本当に良いシーンなので所々ボカしているけどこんな感じだった。

Bは「傷つくなあ」とだけこぼしたんだけれど、ほんとーにそれだけ。言ってしまえば、ただ傷ついただけというか。それで相手を嫌うとかもない。「傷つくなあ」と発言することで、それ以上何も言わなくても相手が考えてくれるとわかっているかのようで。

これってすごい健全だよなぁ、と観ながら感じた。勿論、故意に傷つけてくるような人はキレていいだろうけどさ。時には親友にさえ傷つけられてしまうこともあるわけだ。その時には、ただ正直に「傷つくなあ」と言葉にするほうが、それを飲み込むよりもずーっと健全なんじゃないかな。

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私は基本的に、言葉の裏を読んだりだとか、言葉に別の意味を含ませたりだとかいうのがとっても苦手だ。そんなの考えても答えなんて出ないしね。だから、私はただ「素直に受け取っていい言葉」しか口に出さないようにしている。私の言葉には裏がほとんどない。だって面倒だもの。裏を含ませるなんて。

それなのに、変に言葉の裏をとられて「嫌われたんじゃないだろうか」とか「怒ってるんじゃないだろうか」とかなんとかそーいうの探られてほんとうんざりするんだよな。怒ったら「あぁ!怒った!」って言うし、嫌いだったら、「じゃないだろうか」みたいな疑いかけられないくらい嫌うって。私、ウソつけないから。

だから、みんなも正直に言えば良いと思うんだけどな。負の感情を隠すのが美徳ってよく思われてるけど、他のところで悪臭漂わせてたら意味ないよ。

ばいびー☆

道端の花。
道端の花。

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