「自分はどれくらいの収入があれば、日々の幸せを享受できるのか」のラインのハナシ。
まいど、いおりんでござい。
先日、母校の大学である和歌山大学で所属していた研究室に行きました。
私の知っている後輩が、今年度を最後にいよいよみんな卒業するので、来年度からはあんまり、大学に行けないかもなー、なんてふわふわ思ってます。「帰れる場所」として大学を挙げられる、ってすごい良いことだと思うんだよね。
さて。
その研究室で教授や後輩と話をしていたんだけど、色々と社会の話から何気ない雑談から、3時間くらい話していたんだけど、その中で「自分がこれくらいあれば満足だ、と思える収入を把握しておくことはすごい大事」という話をした。
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お金は大事です。お金がないと何もできない。おいしいものも食べられないし、趣味に興じたり、誰かと遊びにいったりもできない。人生が貧相なものになってしまう。だから、日本社会で生きる以上、ある程度のお金はなくちゃいけない。
だけど、「あればあるだけ良い」というものじゃないんだよね。「お金は稼げるだけ稼げ」といって身を粉にして働きまくればいいかと言うと、そーじゃない。そーいうことを続けていると、なくても良いお金を稼いでしまい、なくても良いモノを買っちゃう。
お金を稼ぐ・お金を貯めるということは、少なくとも同価値をひねり出すための時間を費やさないといけない。「お金はあればあるだけ良い」と考えている人は、そこんところを度外視している節がある。豊かな生活を求めてお金を稼ぐはずなのに、時間とか余裕が奪われてどんどん貧相な生活になっちゃう人も多いんじゃないかな。
じゃあどこでブレーキをかけるのか、っていうと、「自分はどれくらいの収入があれば、毎日の幸せを享受できる余裕が持てるのか」というラインを知っておく、ってところが大きいと思う。
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私は、そのラインがかなり低い人間なんだと思う。正直、前職時代の給料も、ほかの大学時代の同期に比べると低いんだけれど、全然気にならなかった。今はその時よりもさらに下がっているけど、「まぁとりあえずはOKかな」なんて思える。
貯金が減っては増え、増えては減って、結果的にプラマイゼロの状態が続いているけど、その状態でとりあえずはいーじゃん!って思えてる。もちろん、私は今、独り身で結婚を直近で考えているわけでもないから、というのもあるけど。
私は空が青いだけで幸せだし、散歩しているだけで楽しくなれる。めちゃめちゃコストの低い人生の楽しみ方を知ってるから、「幸せを幸せとして受け取れる最低限の収入ライン」が超低いんだよね。
これが、例えば「ギャンブル依存症」だとか、「コレクター僻」「浪費癖」「借金持ち」などの人だと、日々のコストが超高くなるから怖いよね。だからこそ、「そーいうのに頼らずに、低コストで人生をこれ以上なく幸せに生きる術」っていうのは、身につけといたほうが良いと思う。借金とかも、返せるならとにかくさっさと返した方が良い。
ちなみに、「貯金僻」っていうのも、何気にコストが高い気がするんだよね、私。長期的に見れば良いんだけど、短期間で見ると、「1日に使える金額が下がる」わけだから、結局コストじゃん。貯金癖が強すぎて、幸せが享受できないとかも、あると思う。
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私が好きな映画に「ウォール・ストリート」というものがある。ニューヨークの金融街 Wall Street を舞台に、金融業界のトップ達や若手のホープの人間ドラマとか金融業界のゴタゴタを描いている映画。
この映画の中で、主人公がとある人物に、「ウォール街で稼ぐ目標金額」を聞くんだよね。これは、ウォール街で一旗揚げたいと思っている人物なら、誰もが心の中に持っているモノらしいんだけど、聞かれた人はここで、こう答える。
*「もっとだ。
この人はとても欲望深い人間として描かれていて、そのためならば犯罪スレスレだろうと、相手が追いつめられて死んでしまおうとも構わない人間。そんな彼は、どんどん倫理観等を失ってまで、金もうけのために突っ走っちゃう。
この映画は、他にも、「金もうけをしすぎたために、愛する家族や恋人を失った人」や、それに対比して「必要以上の金もうけに左右されず、自分の生活をしっかり保とうとする人」とかも描かれていて、とても面白い。
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まー、これは極端すぎる例だしフィクションなんだけど、要するに心の中で「私はこんくらいの収入があったら、きっと大丈夫だな」と思えるラインを持っておかないと、いつしか「自分は何のために稼ぐの?」「何のために働くの?」ってのを見失っちゃう。これを見失うとホントーに怖いと思う。
逆に、そのラインを意識出来れば、「あぁ、今働きすぎなくても別にいーな」とか、「今ちょっと余裕持ちすぎか、働こう」とか、そーいうのを考えられるし、「車が欲しいから、ちょっと収入ラインを引き上げよう」「結婚するなら、どこくらいまでラインを引き上げるべきかな」っていう風に、望むモノに応じて自分が稼ぐべきラインがしっかり見えてくるでしょ。
特に目的がなく、ただなんとなく毎日働いている人は、心情的には「もっとだ。」と言っている人と一緒で際限がなくなっちゃうんじゃないかな。「自分はどれくらいの収入があれば、毎日の幸せを享受できる余裕が持てるのか」ってのは考えたほうが良いと思う。
ばいびー☆