資格をとるとは、自分にレッテルを貼るようなモノだよ、というハナシ。

まいど、いおりんでござい。私は運転免許を持っていませんが、時々欲しくなるときがあります。でも、運転するリスクが大きい(事故りそう)ので、踏みとどまっております。

さて。

いわゆる資格呼ばれるモノは、2種類あるように思います。それは、「それを取得すれば実行できることが増えるモノ(免許)」と、「それを取得することで自分の実力を社会的に証明できるモノ(資格)」の2つ。

免許は「自動車の運転免許」「教員免許」「医師免許」があるね。「弁護士資格」も資格という名前を冠しているけど、コレがないと弁護士業務できないから性質的には免許だな。資格というのは「基本情報技術者」「簿記」「TOEIC」などだね。一部法人は「○×資格がないと採用しない」などと定めているけど、法律違反などにはならないよね。

今回はこの「それを取得することで自分の実力を社会的に証明できるモノ」を資格として話をはじめます。

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資格を持つことで得られる価値は、「資格を取る過程で得た技能」と「社会的に証明可能なレッテル」です。多くの人は、後者の価値を勝ち取るために資格をとります。多くの人は、後者の価値を勝ち取るために資格勉強をしているんじゃないかな。

TOEICを勉強して高得点をとる人の多くは、「英語を喋れるように」というよりも、「TOEIC850点です」と社会的に証明し、人生を豊かにするためにTOEICを勉強しているんだと思う。英語を喋れるようになりたいなら、TOEICを勉強するよりも海外留学等を選んだほうが早いし、トータルのコストも多分安く済むだろうし。

要するにTOEICで高得点をとることで、自分自身が生きる「市場」を手っ取り早く変化させようとしているんだよね。日本国内人材市場からグロバール人材市場へ飛び立つ切符として「TOEIC900点です!」という資格を持とうと。

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こういう資格の価値をしっかり認識して資格勉強をするのはとても有意義だと思う。「簿記1級をとって税理士としての自分に箔をつけよう」というように、資格が持つ価値は「レッテル」だということを認識して、それを活かせる市場へ飛び立つのならば、資格勉強はとっても便利。

ところがぎっちょん。

中には、そういう資格の価値を理解せずに、「とりあえず資格欲しいから簿記3級をとろうかな」とか「みんながやってるからTOEIC勉強してみようかな」とか考えて資格をとるのはちょっと怖い。

資格を持っているということは、自分の価値をある程度固定しちゃうことにも繋がるんだよね。

例えば、別に海外で仕事をしたくないのにも関わらず、「TOEIC800点」とかいう資格を持っているばっかりにグローバル人材市場に投げ出される可能性があるよね(上司から、「お前英語できるよな。海外出張いってこい」と言われるとか)。

例えば、別に事務系とか興味ないにも関わらず、「簿記3級」とか持っているばっかりに、会社の経理・財務を担当させられちゃうかもしれない。他の人が持っていない「簿記3級」を持っていたばっかりに。

こんな感じで、資格を持つことは自分の市場価値にレッテルがついちゃうのと同義。その結果、望まない期待をかけられるかもしれない。

しかも、資格をとるために使った時間はしっかり消費されているわけだから、「Aという資格がある人は資格がない人よりも優秀」とは言えない。その分、貴重な体験を逃してしまっているかもしれないよね。

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始めに言ったように、ちゃんと「私は資格をとることで自分自身にレッテルを貼り、新たな市場へ挑戦するのだ」という人は、資格勉強をしっかり頑張って、望む方向へ行けばいいと思う。

でも、「なんか不安だから」とかで勉強している人は一旦立ち止まって、「この資格をとることで自分はどーいう価値を持つ人間になるんだろう」というのは考えたほうがいいと思うぜ☆

ばいびー。

資格に限らず、登った先に何が待ち受けているかは考えたほうがいいんじゃないかな。

資格に限らず、登った先に何が待ち受けているかは考えたほうがいいんじゃないかな。