真摯

たまに俺は「出家したいな」と思うのだけれど、すぐに頓挫する。それは死生観が仏教と違いすぎる。「人は墓にこもらず、自然に還るモノ」だと思っているし、ちょっとややこしいことを言えば「火葬はいやだなあ」とか思ってるから、真摯に向き合える気がしない。「真摯であれるか」が自分にとって大事なんだと思う。もし俺が社会に対してやりたいことがあるとすれば、「真摯」な社会にしたいのかもね。誰かの格好つけのために誰かが犠牲になったり、マッチポンプな世界を「仕方ないんだ」と言いたくない。