努力とはどーいう意味か

昨日、「努力なんてしないに越したことはない」という文章を書きました。

https://iorin0225.com/blog/?p=3565

この文章の冒頭でも、文中における「努力」という言葉を定義したのですが。

大体、「努力はすべきだ」と「努力なんてしないほうがいい」という2つの論調の間にある差分は、「努力という言葉を異なる意味合いで使っている」だと思います。

努力信者は、努力を「コストをかけて積み重ねること」くらいの意味で使い、努力不信者は、努力を「やりたくないことにコストをかけること」くらいの意味で使っているのですね。

今朝、友人が「仲間がイキイキと努力している」というよーなことをツイートしていたのですが、この「努力」には「やりたくないこと」という意味合いが含まれていないのですね。そりゃ、やったほうがいいよね。やりたいんだもの。

要するに、どっちも「やりたいことはとことんやればいい」「やりたくないことはやらないほうがいい」というところに落ち着くと思うのですが、言葉の定義が違うばかりに衝突してしまっているのですね。

こーいう事態はよく起こるので、何かについて話す場合は、真っ先に「それってどーいう意味?」というところから詰めたほうがいいのです。