責任感という言葉は有害なので嫌い

責任感という言葉は基本的に好きじゃないです。

「責任感を持て」という言葉は、一見すると、とてもまともそうに見えるのですが、「じゃあ具体的に責任感を持つってどーいうこと?」と聞くと、その認識は千差万別だからです。

「任されたことをなんでもやりきる」と定義した場合、「じゃあある拠点の防衛を任されたけれども、相手の兵力がこちらの100億倍だったので逃亡した拠点長」の責任感はないのでしょうか。

この拠点長と、「誰も攻めてこないような拠点で戦うこともなくダラダラと守り続けている 拠点長」との、どちらが「責任感の強い人」なのでしょうか。

こう考えると、「責任感がある人」というのは、最終的に「なんとなく、責任感があると感じられる人」。。つまりは「好感の持てる人」くらいにしかならないのです。

それなのに、「責任感」という言葉が、あたかも客観的指標のように用いられているのは、とても嫌だなと思います。「責任感を持て」というのは言葉の暴力なので有害です。