それは暇じゃなくて忙殺

情報過多・コンテンツ過多の現代社会、「暇」について考えなおす時間が必要だなあ、と思う昨今です。

暇、というと「何もすることがない時間」くらいの認識でいますが、現代社会においては、むしろ「何もすることができない時間」ということのほうが大きな問題です。

この「できない」には時間の欠乏だけではなく、気力・モチベーションなどの欠乏も大きな要因でして。

現代社会では選択肢があまりにも多すぎて、細かいことをしているだけで気力がどんどん削られていきます。スマホなりネットなり使えば、「することがない」なんてありえない。むしろ、気づけばいろんなことをしてしまっているのが現代社会ですよね。

その結果、気力がカラになって何もできなくなる。コーヒーを飲みながら空を眺めることすらできなくなるのです。「しかしMPが足りない!」が多発するのです。

これは一種の「忙殺」とも呼べる状態ですよね。

オイラが少年時代の頃の「暇」って、気力には満ち溢れていて、でもやることがない。そんな時間だったのですが、今のオイラが感じる「暇」って、それとは全然質が違うのですよね。