スタバに足を骨折したか何かで松葉杖で来ていらっしゃる方がいた。食事のおぼんを返却するのが大変そうだったから「やりますよ」と声をかけて代わりにやった。ここに「彼のことを想って」とかはなくって、俺が「見ていてハラハラする」というノイズを撤去したかったからだ。あえてぶっきらぼうに言うなら「うぜーんだヨ、俺がやっとくから失せナ!」だ。一方でその彼からは感謝され、途中からそれに気づいたスタバの店員さんからも感謝される。副産物としての「ありがとう」。そこに優しさの本質があるのかもしれない。優しさとは、その行動ではなく、その手前の「見ていてハラハラする」という部分があるかどうかじゃないか。