後付けの言葉と、先立つ言葉

自転車や徒歩で移動している時、思考を引き剥がすようにしている昨今。思考を引き剥がすというのは、言葉を引き剥がすということ。

例えば空を流れる雲をみて、その鮮烈さに衝撃を受けて心奪われた時。「なんて綺麗な空なんだ」という言葉が頭に流れた時点ですでに衝撃は通り過ぎていて、感動の言葉は常に後付け。

見て感激を受けたまさにその時。あるいは「わあ」とか「うおお」とか、言葉にならない音・鳴き声が漏れる時。それこそが世界と繋がっている瞬間。「生きる」の根源であり、「生きる」の全てが世界で満たされる。

言葉は常に後付け、と言ったけれど、これはごめん、嘘だ。先に立つ言葉もある。世界とつながるために、全てで満たされるための言葉。

詩、あるいは唄の歌詞。それらはもちろん意味はあるように見えるけれど、世界とつながるきっかけ。根っこへの階段。

「詩とは考えるものじゃなくて、そこに在るもの」。唄もそうなんじゃないかと思う。少なくとも俺はそうやって満たされる唄が好きだ。