「信念なんて曲げた方がいい」「間違っていても掲げ続けるなんて頑固だ」みたいな論調を見ると、そこそこ複雑な感情になります。
オイラは、「叩かれても間違っていても、曲げることができないこと」が信念だと思っています。ソコに嘘をついてしまったら、胸張って生きることができなくなるような。それが信念じゃないかなあ、と。
そこすらフニャフニャ曲げられて、それで幸せに生きている人は、まぁ、そうですね、そんな人間良かったね、って思います。。すいません。
一方で、こーいう論調に押されて致命的な部分を曲げてしまった結果、どこか胸張って生きていくことができていない人ってのもいる気がしますよ。
そーいう人は、間違っていてもつらくても、信念を持ち続けないと胸を張って生きれないのだと思います。見たくないモノにフタをしてればそりゃ楽ですけどね。。
まぁ、間違っている自覚なしに貫いているとそれは老害化なので気をつけなきゃですけどね。ココはオイラの砂場なので許してください。すいません。
間違っていたとしても、どうしても折ることができない根幹の部分が、「信念」なんじゃないかな、と思ったりします。折ることができるなら、それは信念じゃない別の何かだったんじゃないかなあ、なんて。すいません。「オイラの考える信念とは」のハナシです。 https://t.co/LmlVumzlpm
— イオリン (@Iorin0225) March 17, 2021