イオリンの雑記

運と不運

ちょっと前に、むっちゃ努力してハーバード大に入った人の著書に対して、「恵まれていただけ」「もっと恵まれてない人はいた」みたいなやっかみが起きて炎上、みたいなハナシがありましたが。

もちろん、世の中、「個人の選択じゃどーしよーもない運/不運」ってのはあります。親が金持ちで生まれた時点で毎年30億の金が入る、とか、生まれた場所が戦場で2歳の時に家が吹き飛ばされた、みたいな。

一方で、世の中・・しかも日本で起きる大多数の運要素って、大抵がコインの表と裏みたいなものなんじゃないかな、と思います。

たとえば、超有名人の家に生まれたがゆえに学校でいじめられる、とか。見た目が良いせいで寄ってくる異性が有象無象、とか。背が高いせいで飛行機が狭い、みたいなことです。だから「隣の芝は青い」っていうことわざが生まれるわけでね。

そういう運って、普段から努力して「幸運をキャッチできる足腰」「不運にぶつからない位置どり」みたいなのを鍛え上げないと、モノにできないわけです。これが「努力」ってやつの正体です。

つまるところ、恵まれてる人は大抵、恵まれた部分だけを拾えるようにがんばっているわけで。その人に対して「恵まれているだけやん」っていうのは違うよね、と思います。

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