穏やかになろう

最近は「穏やかになろう」を自分のテーマにしています。

まぁもともと攻撃性が強い人間ではないのですけど、多分素の自分がトゲトゲしいと言いますか。

もともと友人の後ろから飛び蹴りかますような少年だったわけですしね。猿ですよ猿。いや猿でもやらないでしょうね。(当時、オイラも出会い頭にスライディングかまされたりなんかしてたので、そういう関係性でした。)

プラスで、変に主観と客観を切り分けられるせいで、「客観モード」になったときに人の気持ちがほんとわからなくなるんですよね。

「え、やりたいのにやってない、ってことはやりたくないんだよね」みたいなことを頭のそろばんがはじき出しちゃうのですよ。オイラの人生戦略の立て方がこれだから。感情とか抜きにザックリナイフ差し込んで考えていく。

でもこれって他人に適用しちゃ絶対だめじゃないですか。絶対だめですよ。自分ルールを他人に突き刺したらもう老害じゃないですか。でも、相談されたり生き方の話とかしちゃったら、良かれと思って客観モード発動して苛烈な一打を放っちゃう。

あとになって「あーいうこと言わなきゃよかったなあ」「あの言い方はなかったな」とかが抜けないので、もう自分という人間を再構築したほうがいいんじゃねえか、と。

先日の「老害への危機感」も強くなってきて、これはやばいな、と。駄目なおじさんになっちゃうな、と。

最近は自分に穏やかセラピーをかけてます。穏やかめな標準語インストールしたりとかしてます。