分かり合えないから

オイラの持論ですが、「人と人って、本質的に分かり合えないよね」と思っています。

分かり合えたと思っていても、実はそれは「分かり合えた気になってる」でしかない。

重要なのは「分かり合えていること」ではなく、「分かり合おうとしている道中」だと思うのですね。それは終わらない道のりです。

分かり合えていないからこそ、「あ、今すごい分かり合えてるかも」が輝くわけで。

でも、「分かり合えているよね」という言葉にあぐらかいて、そっちに自分たちを寄せていく。。みたいなことになると、まぁそれはむしろ重荷だよね、と。

たとえば「あたしたち友達だよね!」とかもそうで。「あたしはあなたを友と呼ぶ。たとえアンタがアタイを嫌いでも」くらいがちょうどいい。

なんかそういうことって色々あるよなあ、と思います。