「中二病」という言葉が嫌い、ってハナシ。

まいど、イオリンでござい。

突然だが、私はよく「中二病」と言われることが多い。

そして私はこの「中二病」という言葉が、実は大嫌いだ。おそらくだが、自分からこの言葉を付箋に書いて誰かに貼り付けるような発言はしたことがないと思う。

〜〜〜〜

私は時折考え込んでしまう性質がある。年に2回ほど、とてつもなくネガティブで暗く陰鬱な性格になってしまう時期があるのだ。自分がなぜ生きているのか。何が楽しかったのか。どうして朝起きて出かけているのか。そーいうことを考え込んでしまう。

そして、実はこの時期の自分がそれほど嫌いじゃない。というのも、こーいう時期は、自分の中の感性が研ぎ澄まされるからだ。

気持ちが明るくなるはずの颯爽な青空に対して「切なさ」を感じることができたり、夜の星空の1つ1つに生きる意味の一部を見出したり、バラバラになった
木材に愛を感じたりできるのは、この「ネガティブな時期」だけだ。普段のちゃらんぽらんとした自分では、どうしてもそこまで潜り込めない。

楽しいモノに対してすら悲しみを覚え、悲しいモノに対してある種の希望を見出すことができる。それはいつしか、絶対に失ってはいけないモノと認識し始めた。

それに、この「考え込む性格」は、私が小学生の頃からずっと存在していた自分の一部だ。20年来の友達とも言える。一時期、 全力で否定しようとした時期もあったが、今では手を繋いでショッピングモールを歩けるくらい、大切な友達の1人なのだ。

だから、「あぁ、またこの時期ね」と思って、受け入れている。そして、それを文章にしてみたり、詩にしてみたり、音楽にしてみたり、絵にしてみたりするのだ。

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ただ。

そんなことを言っていると、決まって私のことを揶揄する人が出てくる。そして彼らは決まって言うのだ。「中二病だ」と私を嘲笑する。

要するに、そんなことを考えるのは、中高生の思春期の少年だけで、大人になってまでそんなことを考えるのは「ダサい」「みっともない」というわけだ。

他人がそう思うのは勝手だ。ただ、それを「中二病」などと蔑むようなレッテルを貼り、あまつさえ病気扱いするだなんて、本当にふざけている。だから嫌いなのだ。貴重な感性を「病気」にしてしまうなんて、人間に対する侮辱にさえ感じてしまう。

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生きる意味を考えてしまったり渇望したりする感覚を「ダサい」「意味がわからない」などという人は、そういう感性を育てられなかった、あるいは育てる必要がなかった人なのだと思う。

他人に簡単に認めてもらえるような人は、「自分はなんで生きているの」とか、「自分はここにいていいの」とか、そんなことを考える必要がないのは当たり前だ。こういう生きる意味への渇望とは「自分が認められていない」という欠如感からくるものだからだ。

私は残念ながら他人に簡単に居場所を用意してもらえるような人間じゃない。放っておけば誰からも相手にされないような人間だという自覚がある。噛んでいれば独特の味が出てくるが、まず噛もうと思われない、酢昆布のような人間なのだ(個人差はあります)。

別にそんな自分を悲観したいわけじゃない。さすがに30も近くなってくると、他人の人生に無理やり割り込んで、自分で役柄をもぎとり、それを演じるような生き方ができるようになっている。誰からも誘われなくても、自分から誘えばそれでいいのだ、と思うようになった。

それでも、「自分の居場所を無理やり作らないと、役柄を与えてもらえないんだな」という虚しさはある。その虚しさが、先ほど話していた「考え込む時期」に表に出てくるのだ。

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そんな葛藤を「中二病」なんて単語で一蹴されたら、そりゃ怒るさ。こちとらイッパイイッパイなんだ。

前も書いたが、生きる意味を簡単に見出せるような人間が、生きる意味を見出せずに、それでもなんとか生きているような人間を、弱いものいじめをしないでほしい。

というか、こういうことを「中二病」とか言い出したら、尾崎豊もブルーハーツも忌野清志郎もスキマスイッチも、みんな中二病になってしまうと思うのだけれど、その辺どう考えているんだろう。みんないい年して生きるだの愛だの唄ってる連中になっちゃうんだけれど、彼らも中二病と思っているんだろうか。

ばいびー。

ラピュタだって、中二病になっちゃうのかね。

 - 所感・主張

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著者: イオリン

平成元年生まれ。奈良に生まれて青年時代を関西で過ごす。ITとデザインを勉強して上京しITベンチャーに就職するが、「もっと楽しいことをしたい」と退職。社会人生活をゼロからのリトライ中。見た目はダンディ、心は永遠の15歳。

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