論理的思考の功罪のハナシ。

まいど、イオリンでござい。

今日は論理的思考と、それを正義と考える思想について話します。

私の論理とかに関する考え方はほとんど下記Webページに書いているのと同じなので、そっちを見てくれれば、それでいいかもです。

参考: 哲学的な何か

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論理的思考は正義ではない。

少し前に、「論理的思考(あるいはロジカルシンキング)」が流行った。私が新卒就活をしていた時期は、どこもかしこもロジカルシンキング、ロジカルシンキングと言っていたし、論理的思考に関する書籍も大量に出ていた。

そのせいか、今でも時々、「論理至上主義」に出会う。物事の優劣や正否を「どちらがより、論理的か」という視点でのみ考える人間だ。

これは論理的思考が得意な人だけでなく、苦手な人にも見受けられる考え方だ。つまり、「私は論理的思考があまりできないから正しくないことが多い」と考えている人もまた、論理至上主義だ。

ところがぎっちょん。

論理はそんな万能アイテムではない。むしろ、限定的に使わないととんでもない間違いをしでかすアイテムだ。

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そもそも、論理的思考をオベンキョした人の中にも、「論理」について調べ、考えた人はほとんどいない。

論理とは何か。

それは簡単に言ってしまえば、「ある決めつけの上に成り立つもの」だ。

例えば、「A = B」「B=C」のとき、「A=C」である、というのも、所詮「A=B」「B=C」という決めつけのうえで成り立っているだけで、厳密にいえば「A」と「B」が全く同じなんてことはほとんどありえない。全く同じなら「A=A」と称すべきだ。

さらに、よく見れば「A=B、B=Cのとき、A=Cが成り立つ」というのも実はただの決めつけだ。そんなのどこにも書いていないし、証明もされていないからだ。

つまるところ、論理とは「そう決めたんだから正しいんだよ!」という決めつけでしかなく、世界における正当性なんて全く担保していない道具なのだ。

そーいう「決めつけの上に成り立つ」という意味合いで言えば、論理も宗教も大差ない。論理至上主義とは、論理という教典を信奉する狂信者だ。

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歴史的に見ても、論理の正しさは常に覆され続けてきた。

「平行線は交わらない」「三角形の内角和は180度」でおなじみのユークリッド幾何学は矛盾がなく、世界を正しく表現しているとされてきた。ところがぎっちょん、その前提を覆した「非ユークリッド幾何学」も、矛盾なく成り立つことが証明された。

さらに、「1kmは誰から見ても1km」「1時間は誰から見ても1時間」ということすらも、相対性理論によって打ち砕かれた。(ざっくり言えば「1kmとか1時間とかは、観測者の状況によって変化するよ」と証明された。)

つまり、「矛盾のない論理体系なんて割と作れるし、矛盾がないことが正当性の証明になんてならない」ということだ。

極めつけに、不完全性定理の登場によって論理の絶対的な正当性は木っ端微塵となった。「どんな理論体系にも証明できないことが必ず存在します」「どんな前提で論理体系を組み立てようが、その論理体系に矛盾がないことは証明できません」と証明されたからだ。

要するに、「論理の正当性なんざ何十年も前に終わってる」ってハナシだ。

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じゃあなぜ「論理的思考」とやらがあんなに重要視されるのか。

それは人間が持つ道具の中で、割と正解(=実験結果)にたどり着く可能性が高い道具だからだ。

決めつけ=前提さえ見誤らなければ、まぁまぁ悪くない確率で正解するから、使ってもいい道具なんじゃね?と。まぁそのくらいの意味合いで論理的思考は使われている。

ただ、その前提を世の中はちゃんと教えてくれない。義務教育でも、まるで「これが世界だ!」と言わんばかりにユークリッド幾何学(三角形の内角和は180度とか)を教えてくるし、早々にクイズ大会になってしまうせいで「論理って何なの」と教えてくれるタイミングはない。

そのせいで、「論理的思考こそが世の中を表す」「論理的じゃないものは価値がない」という、論理至上主義者が台頭してしまっている。

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論理至上主義の厄介なところとは何か。それは、先にも少し触れたように「論理的に正しいことなんていくらでも作れる」にも関わらず、「私の言葉は論理的だから正しい」と思っている点だ(この思い込みが既に論理的ではないのだけれど)。

論理的に正しいかどうかは「前提」に依存する。論理的に正しくなるように都合のいい「前提」を用意すればいいだけなのだから。アインシュタインの相対性理論だって、実験結果に沿うように「前提」を書き換えた代物なのだ。

前提をのらりくらりさせれば「俺は常に論理的に正しい」なんて簡単に作れるのだ。論理的至上主義者の多くはそれに気づいていない。自覚なしに前提を書き換えて「論理は常に正しい」という状態を保とうとする。

「正論とは暴力である」と呼ばれる所以はここにある。つまり、前提を書き換えれば「非の打ち所がない正論」とは誰でも簡単に作れるのだ。

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論理至上主義者に対するもっとも有効な手は「前提を暴くこと」だ。論理には必ず「前提」という非論理的な部分があるのだから、前提を暴いて「そこ論理的じゃなくない?」と突っ込んでやれば良い。相手は「言わなくてもわかるだろ」とか言い出すだろうけど、「いや、わかんないんで、論理的にお願いしまっす」と言えばいい。

そのうち、「うるさーーい!」って言われて喧嘩になるだろうけれど。

ばいびー。

最近カメラの充電器をなくした。

 - 所感・主張

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著者: イオリン

平成元年生まれ。奈良に生まれて青年時代を関西で過ごす。ITとデザインを勉強して上京しITベンチャーに就職するが、「もっと楽しいことをしたい」と退職。社会人生活をゼロからのリトライ中。見た目はダンディ、心は永遠の15歳。

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