「あの人はスゴイ」っていう言葉のうすら寒さと壁のハナシ。

どーも!日本のジョニーデップこといおりんです。

 

いきなり天の邪鬼のような発言で申し訳ないけど、私はあまり、他人のことを「スゴイ人」とは言いません。

最近、休職期間を利用して講演会などに行かせていただいている。その中には、ほかの講演者のほとんどが、その人のことを「スゴイ」と思っている講演もあるんだけど、そういうのを見ると、ちょっと気味悪さも感じちゃうんだよね。

大学時代、とある研究室が、学生みんなが1人の教授の一挙手一投足をスゴイスゴイ言いまくってる状態になっていて、ほんと気味悪かったんだよね。その時私は、「お前ら気持ち悪ぃよ」と公言していた気がする。

その人を全肯定しかねないって、怖いことだよね。

私は、人に対して、「スゴイ人」って評価しちゃうことは、恐ろしいことだと思うんだよね。一旦、心でそう思ってしまうと、その人の行動全てを「スゴイ」と捉えちゃうから。その人の全部を肯定しかねないんだよね。スゴくないところもスゴイって感じちゃう。それは、すごい怖いことだよね。

例えば、私は先日の選挙、投票に行かなかったけど、仮に私のことをスゴイと感じている人がいれば、そのことも「ちゃんと考えた上で、あえて投票に行かなかったんだね、スゴイ!」ってとらえちゃう。ただ、私は自分のアタマで考えて選挙に臨んだだけで、他の人もそれはしてるじゃん。でも、私の行動が肯定されちゃう。それは、私にとっても怖いことだよね。

「ファンとしての接し方だったら友達になれない」ってことだと思う。

あと、スゴイ人って感じちゃうと、その人と同じところには行けない感じがするんだよね。

昔、「芸能人と友達になるにはどうすればいいか」みたいなのを見たときに、「ファンとしての接し方だったら友達になれないよね」って誰かが言っていたんだけど、まさにその通りだと思う。

人そのものに対してスゴイなぁ、って感じていると、もうそこには壁が出来ちゃっているんだよね。誰かのことをスゴイと思っている、っていうことは、自分の未来の延長線上にその人を置いていない、っていうことだから。アキレスと亀の話じゃないけど、届かない。

私が感じるのは、「あの人の○○というところがスゴイ」という感覚でしかない。

例えば、所ジョージさんはその、生き様が自由でスゴイ。森山直太朗さんは、モノづくりの精神とモノゴトの捉え方がスゴイ。だから、その部分は尊敬するし、自分に吸収できないかを考える。でも、スゴイ人にはならない。面白い人だなぁ、とは思うけどね。

同じように、他人をあまり嫌いにならないんだよね。

そして、この逆を言うと、私は他人をあまり嫌いにもならないんだよね。私はタバコを絶対に吸わないし近くで吸われるのも嫌なんだけど、友達だったら別に許せちゃう。究極、その人が犯罪とかしてても、自首を進めるか私の手で捕らえるけど、友達はやめない。

それは、「あの人の○○というところが駄目」としか捉えないから。ほかに好きなところがあるなら、友達を続けるうえで問題はないんだよね。

本当に許せないことされたら駄目だけどね。例えば私の友人を傷つけたとか、そーいうことするなら許さないけど、そーいうことじゃなければ許しちゃう。

 

ある人のことを「スゴイ」で片づけるのって、とても怖いし、もったいないことだと思うんだよね。「スゴイ」って思うことは、その人を遠ざけていることにもなるんだよね。自分で吸収できるように落とし込めば、自分もその人のようになれるのかもしれないのに、「スゴイ」と思って遠ざけると、もったいないよね。

みなさんも、誰かのことをスゴイと思ったときは、その人の何がスゴイのか、ってのを考えてみると、案外自分もそうなれるかもしんないよん。ほんじゃ、バ〜イ♪

日本の伝統芸の神々しさを感じるいおりん。

日本の伝統芸の神々しさを感じるいおりん。