人生のどこまでを遊びとして捉えるか、というハナシ。
Guten Tag♪いおりんでございまっす。
最近、友人と話していたら、私が捉える「遊び」と、友人の考える「遊び」が全然違っていて、軽くショックを受けたので書いてみまっす。開幕開幕〜。
いきなり「キャンプやろうぜ!」と号令をかけて、実際に行った。
私は誰かと遊ぶときは、いきなり「明日、○○しようぜ!」と言いだすことが多い。「カラオケ行こうぜ」とか、「山登ろうぜ!」とかね。やりたくなっちゃうと、すぐやろう、今やろう、っていう感じになるのね。ちょっとしたルフィだと思ってもらえればいい。
そんな私が秋ごろ、いきなりやりたくなって、「キャンプやろうぜ!」と号令をかけて友達を集めて、実際にキャンプに行ったんだよね。
でも、その号令をかけたのは決行日の2日前で、しかも全く準備もしていない。1日前になんとか、最低限のアイテムを用意して、場所も見つけて、なんとか行けて、こじんまりとしたバーベキューもできたんだよね。
長者屋敷キャンプ場っていうとこなんだけど、頑張れば東京から日帰りでいけて、バツグンに自然があるいいとこだった。
でも、私は運転免許とか持っていないから、本厚木駅からバスで40分くらい揺られて、そのあとに、3kmくらい歩いたんだよね。キャンプ道具と食材を持って。しかも、途中の道路は走り屋たちが走っていて、結構怖かったんだよ。
私にとっては、家を出てから家に着くまで、その全部が「遊び」だったんだよね。
私はその道中がすごく楽しかったんだよね。
「この道合ってんのかー?」
「多分合ってる合ってる。でもボロいらしいから見逃すなよー」
「うわっ、バイク来るっ!危なっ」
「えっ、怖っ、怖っ」
とか言ってんの。バカバカしくて面白くない?
でも、後日、その友人に話をフってみると、彼は「いやいや、あの道中は面白くねーよ。極力避けたいよ」って言うんだよね。同じ体験なのに、私とは正反対の感想だったんだよね。
色々話してみると、彼はあくまで「キャンプ」という遊びを楽しみたかった、だから、キャンプ場につくまでの道中はスムーズに行きたかった、ということなんだよね。だから、キャンプ場についてからは楽しかったけど、行き帰りの道中は苦痛でしかなかった、と。
私にとっては、キャンプ場までの道中全部含めて、遊びだったんだよね。「家に着くまでが遠足です」じゃないけど、家を出てから家に着くまで、その全部が「キャンプ」であり、「遊び」だったんだよね。
ハプニングが起きると、そこにドラマが生まれるじゃん。
あと、私は遊びに対して、「計画通り」っていうのを求めていないんだよねー。すべてうまく行くんだったら、やる意味ないじゃん。キャンプも、全てうまく行くんだったら、その計画表とキャンプ場の写真見ながら、家で焼き肉してりゃいーじゃん、と思っちゃう。
でも、実際に遊びに行くと、計画外のハプニングが起きる。ハプニングが起きると、そこにドラマが生まれるじゃん。旅行とかでも、「めっちゃ道渋滞してるやん!間に合うかな!」とか、「さっきのとこ、曲がったほうが良かったんじゃない?」ってのが起きると、逆に楽しいんだよ。わくわくするじゃん。
多分、さっき言った友人も、キャンプ場についてからは楽しんでたから、「キャンプ」においては、同じ気持ちだったんだと思うよ。実際、BBQも、5人いたのに、網の広さは下敷きよりも小さいの。しかも組み立てるのミスして壊しちゃったし。でも、それを「ちっちゃくね?」「火力弱ぇーよとか言いながら楽しんだしね。
私はその遊びの範囲を、もっと広くとってただけなんだよね。遊びっていうのは、物事に対する姿勢だから、枠を広げればいろんなことを遊べるんだよね。私は、「遊び」の範囲が広いんだろうね。
私の目標は、人生全てを「遊び」として楽しむことだからね。そうなったらサイキョーじゃん。
「遊びを諦めない人生」を目指しているね。
人生を「辛いこともあるけど、楽しいこともある」と考えている人は、日常生活の中で辛いことが出てきてしまっても、きっとそれを我慢しちゃう。我慢して、「これ終わったらお酒飲もう」とか、“次”に期待する。
私は人生全部を「楽しむことができる遊び」と信じている。だから、辛いこととか、失敗することも、楽しめちゃうし、楽しめなくなったら、やらない努力をはじめる。どうすれば人生を遊べるか、ということに関して、妥協したくない。
私は色んな夢があるけど、包括的に言えば、「遊びを諦めない人生」を目指しているね。肩の力抜いてね。肩肘張って「遊ぶんだ!」って言ってもバカじゃん(笑)。肩の力を抜いた状態で、貪欲に遊んでいきたいね。
そんじゃ、Bis bald♪