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モノをつくるのに「技術力」なんてそこまで要らない

「エンジニア蠱毒」の話を以前しましたが、その続きかな。プログラマとかエンジニアとかになるのに「技術力」なんてそこまで要らないよ、という話です。

私がこれに明確に気づいたのは2018年ごろなのですけれどね。


まず「技術力とはなんぞや」という話からします。よくITエンジニア界隈で使われる言葉ではありますが、実は曖昧なんですよね。「技術力」って。日常的に使うべきではないと思います。

この記事内でいう「技術力」とは「技術(=テクノロジー)に関する知識の豊富さ」および「技術を使って実現できることの多さ」とします。


さて。

最近私は、プログラマやITエンジニアには大きく2種類の理想像があるなあ、と考えています。それは、「技術力が高すぎる人」と「モノづくりを完遂できる人」との2つです。

「技術力が高すぎる人」というのはそのままで、IT技術に関して様々なことを知っており、様々なことが実現できてしまう人のことです。

一方、「モノづくりを完遂できる人」というのは、技術力は低いことが多いのですが、モノづくりを完遂させる能力がやたら強い人のことです。

便宜上、ここからは「技術力が高すぎる人」のことをEngineer、「モノづくりを完遂できる人」のことをCreatorと書きます。


この2種類の区分けの裏には、「技術力が高いからと言って何かモノを作れるわけではない」という事実があります。

モノづくりを完遂するのって、技術力だけではできないのですよ。「モチベーションを維持する能力」とか「システム全体を俯瞰できる能力」とか「トライ&エラー能力」とかのほうが、実は技術力よりも重要だったりするのです。

例えるなら、「TOEICで点が取れるからと言って英国人とのコミュニケーションが上手いとは限らない」というのと同じ感じだと思います。

これは「どっちが良い」とかいう話ではありません。Creatorは「0を1にする人」であり、Engineerは「1を100にする人」という、別の種類なのですよ。

 


Facebook、Twitter、Instagramなどの誕生秘話を見ると、それぞれの創設者はみんなCreatorとして優れていたのだと思います。

どのサービスも、初期の頃は難しい技術をほとんど使っていないのですよ。「自分のプロフィールを投稿できる」「友達申請(フォロー)ができる」「140字の文章が投稿できる」「写真と短い文章を投稿できる」などなど。全部割と簡単な仕組みなのですよ。当時にしても新しくもないし、技術的にはEngineerなら誰でも作れてしまう。

ただし、「技術的に作れること」と「実際に作れること」は全く違うスキルが必要なので、Creatorとしての能力がない人には作れないのです。

Facebook創設期の技術責任者、ダスティン・モスコビッツさんは、開発に参加した当時、「1週間、入門書を読んだだけの文系大学生」でした。それでも彼はCreatorとしての重要なスキルを持っていたが故にFacebookの重要な(難しくはない)機能を次々と作り上げていったのだと思います。

(全くの素人がプログラミングに関する入門書を1週間で読破したり、その後開発チームに実際に参加したりするのって、技術力とは別のスキルなんじゃないかな、と私は思います。)


日本や中国など東洋文化というのは全体主義の傾向がとても強いことがわかっています(儒教的な思想ですかね)。で、全体主義の中で生きる人々というのは、「役割」や「役職」を完遂できる能力を身につけたがるのですよ。だってそーいう人が重宝される社会だから。

なのでEngineerと日本人とは相性がいいのですよ。役割に徹すればいいですからね。(アフィリエイターの技術力めっちゃ高いですよね。)

ところが、Creatorというのは、1つの役割では収まらないのですよ。モノづくりに関わる様々な役割に対して横断的に関わるような人であり、クリエイティブな動きを求められるのが、「モノづくりが上手い人」でありCreatorなのですよ。ある種の「支配者」とでも言えますかね。

だから日本は……というか東洋文化ではCreatorは生まれづらいのです。

主観ですが、会社のトップや指揮系統などを西洋の「個人主義」のところから引っ張ってきて、細かいところは東洋の「全体主義」のところにやらせれば、割と合理的な組織になるんじゃないですかね。。(中国の「千人計画」にはそういう面も考えているじゃないかなー。)


なんか書きたかったこと書けてるかな。わかんないや。

とりあえず、今、私の目の前に「エンジニアになりたいです」とか「プログラマになりたいです」って人が来たら、「まずモノを作れ」と言います。

余談ですが、日常で「技術力」という言葉と遭遇すると、割と多くの人が「自分が知らない技術を知っている or 使っている」という定義で使っているように見受けられますね。

そのせいで、「マイナーな技術だけを知っている人」「誰も知らないような技術を好んで使う人」が「技術力が高い」と評されることも間々あるのですけれど、こーいう人って知識量や実現可能領域が乏しかったりするので、「技術力が高い」とは言えないんじゃないかなあ、なんて思ったりします。


以下、参考文献。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/儒教

https://spc.jst.go.jp/policy/talent_policy/callingback/callingback_05.html