SNSをやめようかなと考える日もある
最近、SNSとの付き合い方を考えている。簡単に言ってしまえば「やめてしまおうかな」ということだ。
私はSNSに関してはとても強い関心を持っている。高校3年生くらいの頃mixiを知った時は、一刻も早く参加したい、と思って某巨大掲示板で招待を無差別にばらまいている人にお願いしてmixiに参加した。TwitterやFacebookが出た当時は、「もしかしたらこれは人間を幸せにするとても大きな要素なんじゃないかと考えていた。
ところがSNSの現状は、人を幸せにするどころか不幸にしているように思う。SNSを調査した研究によると、SNSを使ったコミュニケーションが多い人は人生の満足度を下げてしまい、メンタル状態や健康をも悪化させてしまう傾向があることがわかっている。
この原因は科学的にもいろんな説明がつく。例えば「他人の(主にキラキラした)投稿を見てしまうと、自分の人生との比較を行ってしまう」というコントラスト効果や、「他人がストレスを受けているのを見ると、まるでそれが自分のストレスのように人の脳が反応する」という受動ストレスなどだ。
また、Facebookのメリットとデメリットを調査した研究によると、「自ら発信したりイイネやコメントなど能動的に利用していると幸福度が高い」「他の人の投稿を眺めたり企業の情報を見ているだけだったり、コミュニケーションがSNS上でも行えていないと幸福度が低い」という結果が出ていて、これなんかはとてもおもしろい。
実際、私がSNSを使っていて楽しい時は自分で投稿しているときであって、誰かの投稿を見て楽しいとき、というのはほとんどない。ゼロとは言わないまでも、体感1%くらいだ。
今のFacebookやTwitterは私が見たいような「個々人の日常」はほとんど流れてこない。あるのは自己承認欲求が強い人たちの自慢、耳障りが良いだけの戯言や虚言、鬱憤を晴らす覚悟がない人たちの愚痴、あとは企業の宣伝投稿くらいだ。こんなのが流れてくるタイムラインやウォールを見ても、気分が高揚することはほとんどないし、むしろ気分を害する事のほうが多い。
それにしたって最近、不特定多数の人と接すると失望する割合がとても多い。「醜さ」は人間の性質のひとつなので否定するつもりはないが、「これほどまでに」と思うほど愚かな行為を目にすることが多い。なので最近は、大好きな友人たちと末永くお友達でいれれば、あとはどうでもいいと思っている。だから引きこもりがちだし、あまり知らない人が参加するイベントごとは意識的に避けている。
ただ、冒頭にも書いたように私はSNSがとても好きだ。人と人とがゆるくつながる、ということはとても良いことだと思うし、今いる友人たちとの関係の多くは、SNSがなければ断絶していたことだろう。私は友人関係を維持するのがとても苦手だ。SNS登場以前の友人で今も関係が続いている人はいない。
それに、私がFacebookやTwitterをはじめたころは、今みたいな酷い惨状ではなかったように思う。みんな今よりもずっとどうでもいーことや自分の考えなどを忌憚なく述べていたように思う。それこそ知り合いと口喧嘩になってしまうこともあったが、そこはとてもリアルだったように思う。
その頃のSNSはとても良かった、と言うと懐古主義みたいで嫌なのだが。少なくとも宣伝だのなんだので溢れているよりはずっと良かった。
今、PS4のゲーム「スパイダーマン」をやっている。スパイダーマンとして街を守るゲームなのだが、そのゲーム内にはTwitterのようなSNSがある。みんなのつぶやきが見られるタイムラインがあり、街でテロリストを退治したり新しいスーツで飛び回ったりすると、それがタイムライン上に流れる。
もちろんこれはコンピュータによって投稿されている(ように見せている)だけなのだが、これがとても楽しい。スパイダーマンに関係ないことも流れてくる。たとえば「あの映画とても良かった!」みたいな。そしてそのツイートもどきに対して誰かが「今どこにいるの?今からその映画について話そうよ!」と言う反応が返ってきてたりする。
そんな擬似SNSを見ると私は「ああ、SNSってこーいう世界が実現されるんだから素敵だよなあ」と思う。おそらくSNSはリアルと密接に結びつくから楽しいんだろう。リアルと乖離した自慢や愚痴だけの側面を見せられたり、リアルと全く無関係な宣伝を見せられても、リアルの生活になんの影響も与えないから楽しくないのだ。
余談だが、愚痴は対面コミュニケーションだったりチャットだったりで言う分にはあまり問題がないし、愚痴を言うことはストレス解消や問題の整理にもなるので全く否定しないが、不特定多数に向けて発信するのは、先述した「受動ストレス」の問題もあって立派な迷惑行為なので避けたほうが良いと思う。
おまけに人は他人の悪口を聞くと、その発言者自身に悪口の内容を投影してしまう、という困った心理効果も確認されている。つまり、「Aさんは全くもって思いやりがない!」と言うと、聞いた人は「この発言者さんは思いやりないんだな」と深層心理で思ってしまうのだ。そういう点もあるので、愚痴を言うのを止めるつもりはないが、使い所は考えたほうが良い。