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Stay Gold, Ponyboy.

日本の反体制・反権威派の運動ってなぜこんなにもダサいんだろう、ってハナシ。

まいど、イオリンでござい。

今日は「反体制運動のダサさ」について。

とてつもなくダさい日本の反体制派たちの運動

私は週に何日か、横浜で仕事をしている。

横浜では時々、なにやら反権威的な放送をしている車が通る。その度に「あんなので世の中が変われば苦労はしないよ」と思い、ただの騒音と成り果ててる人たちに呆れ果てている。

はたまた私がよく利用する映画館の最寄駅では時折、「XX政権反対」などと書かれたタスキをつけたオジサンオバサンたちが何か叫んだりチラシを配ったりしている。

日本では、なぜこうも反権威・反体制的な人たちがダサいのだろうか。

街中で反権威的な演説をしている人も、憲法9条を守れ、XX政権反対などと段幕を掲げている人も、SNSで国の動きに何かととやかく言ってる人も、とにかくダサい。成人式で暴れるわんぱく小僧くらいダサい。

少し前に「SEALDs」と呼ばれる若者中心で形成された政治団体があった。活動内容への賛否は置いといて、彼らは活動内容に対して一種の「かっこよさ」を大事にしていたように思う。公式サイトをみても、かっこよさ・クールさを意識しているように思う。

SEALDsは活動が注目されると同時に、揚げ足をとられつづけるようになってしまい、クールさは消えていった。思えば、2017年現在の日本におけるインターネット全体に流れる「異質なものは叩け」精神は、SEALDs叩きに端を発していた気がする。あの頃から炎上だの何だので、インターネットがつまらないものになってきている。

引用元: SEALDs公式サイト

さて。

今やそのSEALDsも解散してしまい、依然、日本において反権威的な活動というのは、「ダサい」というイメージが付きまとっている。

「Watch Dogs 2」に見る、クールな反権威派ハッカー団体

最近、「Watch Dogs 2」というゲームをプレイした。

このゲームは反社会的なハッカー集団「DedSec」を主軸においたゲームだ。現実におけるウィキリークスやアノニマスのような、ハッキング技術を政治運動に用いている。海外ではそのようなハッキングを「ハクティビズム」と呼び、1990年代くらいから注目されている。

私もIT技術者・プログラマとして、この「Watch Dogs2」は大いにとても楽しませて頂いた。

現実のハクティビズムがどうかは知らないが、少なくとも「Watch Dogs2」内において、ハッカー集団「DedSec」の社会運動はとにかくかっこよく思えた。活動内容はともかく、その社会への伝え方がいちいち「キマってる」のだ。

DedSecは主要メンバーに「アーティスト」がいる(しかも若い女性!)彼女は自分や仲間がハッキングして暴いた悪事を、より届きやすい形に「編集」する。それは時に動画に、時に絵画になる。

自分たちの行動を示すための看板ペイント。
引用元: Watch Dogs2公式PV
引用元: Watch Dogs 2 | デッドセック デザインキット

そして、賛同者は公式アプリをインストールすることで「フォロワー」となり、賛同を示すことができる。

「届けること」「見られること」を意識しない日本の反体制派。

日本の反体制的運動は、「発言すること」それ自体に価値を置きすぎている。声を上げることだけを重視しすぎて、「届くこと」に関して無関心すぎだ。だから、ただ大きな声で、あるいは広範囲で声を上げることしかできない。

おまけに賛同者を集める方法も未だ「署名」だ。

少し前に電通で働く女性が過労のあまり自殺したことを覚えているだろうか。悲しいことに、この事件もすでにみなさんの記憶では風化してしまっているように見える。

私はこの事件が発生した頃に、「長時間労働撲滅プロジェクト」なるものに参加した。これが身を結んでいるかどうかは今現在、あなたの身の回りを見渡していただければわかると思うが。

このプロジェクトへの賛同方法も「署名」だった。ネット上ではあるものの、所詮はいち署名でしか賛同できなかった。彼らは集めた署名を大臣に手渡しただけで活動を終えてしまったようだ。プロジェクトと名打つからにはもっと大きく動いてくれるものと思っていたが。

私は、思想への賛同を示す方法として「署名」というのはとても弱い手段だと思うのだ。署名はハードルは低くないくせに、当事者意識は全く芽生えさせない。言ってしまえば「署名しかできない」のだ。

もし「長時間労働撲滅プロジェクト」において、チャットルームがあれば。掲示板のようなものがあれば。数々の体験談がそこに寄せられたかもしれない。プロジェクトの主要メンバーとの会話によって、何か解決策が得られるかもしれない。悪質な企業や団体を告発できるかもしれない。

それは「集まった署名を渡す」などという行為よりもよっぽどインパクトのある活動だ。

ただ喚いているだけに過ぎない日本の反体制派。

署名にしろ街頭演説にしろ、とにかく政治的インパクトの低い方法しかとらないのが日本の反体制運動だ。街中で見かけても、「またやってるよ。うるさいし邪魔だしめいわくだなあ」としか思われない。SNSで見ても「そんなやっかみ、SNSで見たくないよ」としか思わない。

それが「ダサい」と感じる1番の原因だ。ただ喚けばいいってもんじゃない。どうすれば伝わるか。どうすれば本当に変わるか。そこのところを全く考えていない。海外では「カウンターカルチャー」という文化にまでなっているのに、日本ではいまだに喚いて署名を集めるだけなのだ。ダサい。

私は別に反権威的でもないが、許せないことはある。例えば先に例をあげた「長時間労働」なんてのは許せない。そのためなら政治運動に参加してもいい。それこそ私はプログラマなんだから、ハクティビズムに携わってもいいと思っている。

ただ、参加したいと思う団体がない or 見つからないのだ。軽く調べても出てこないし、見つけても先に述べたように署名同等のことしかできない。デモに参加するにしても、正直「ダサすぎ」て参加したくない。写真を撮られてメディアに載ろうものなら、親族や友人から揶揄されてしまいそうだ。

引用元: 連合へ働き手が異例のデモ 「残業代ゼロ、勝手に交渉」:朝日新聞デジタル

日本における反体制運動に必要なのは、「かっこよさ」だ。自分を表明すること。意志を社会に投げること。それが「かっこいいこと」であることを明確にするためにも、反体制運動のダサさを脱却すべきなのだ。

余談: 日本のマスメディアも権威側

余談になるが、反体制運動として最も影響力があると言ってもいいのが「メディア」だ。けれとも、実際のところはメディアの信用も失墜している。理由はまぁ色々あるだろうが、最も大きいのは「行動内容に関係なく反体制的だから」じゃあなかろうか。

どれだけ重要なことをやってもそれに見向きせず、ただ相手を貶められそうな穴を見つけてはそこを執拗に突き続けたり、時には事実を捻じ曲げて悪いように報道したり。少なくともインターネットではそーいうところを思いっきり暴かれているので、メディアに対する信用なんてほとんどないのが現実だ。

というか、インターネットに触れてない人たちでもテレビで度々、些細な問題を何ヶ月も扱っている様を見てれば「この問題、まだやってんの?」「こんなのどーでもよくない?」と思ってもいいと思うのだが。

メディアは反体制的、とは言ったものの、日本のメディアはどちらかというと体制側、権威側だろう。国やお偉いさんと争っているというだけで、メディアもメディア自身の権威・体制のために動いているからだ。少なくとも大衆側とは言いづらい。

ばいびー。

ハワイの看板。

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