日本語は簡単な文章でも感情が乗っかってしまうやっかいな言語、ってハナシ。
まいど、イオリンでござい。
日本語って英語よりも汎用性高いけれど、その分不必要に感情が乗っかっちゃうよな、ってハナシを今日はします。
例えば敬語なんてのは顕著だよね。英語には「丁寧な言い回し」や「敬意を示す言い回し」はあるけれども、全ての文章が敬意を示すようなことはないでしょ。例え相手が王様でも、「私は東京で働いています。」は“I work in Tokyo.”でしょ。強いて、”I work in Tokyo, Sir.”でしょ。
でも日本語では「私は東京で働いています。」を無限の形で表現できる。「私、東京で働いているのよ。」「俺、東京で働いてんよ。」「儂は東京で仕事をしているのじゃ。」「余は東京で仕事をしておるぞ。」「某、東京で仕事をし候。」etc…。それぞれの言い回しで異なる感情や話者の背景が推測できる。
だからこそ、俳句や詩など、言い回しや言葉の選びによって成り立つ日本語独特の文学があるわけでさ。日本文学と英語文学は全然質が違うでしょ。日本語のほうが汎用性が高く、様々な感情を簡単に伝えることができる。
でもね、その分、「何気ない言に不必要に感情が乗る言語」とも言える。
〜〜〜〜
それが一番余計な作用をするのが、ビジネスだと思う。日本語を使うと、例えビジネスの会話だったとしても、言葉に変な感情が乗っかって伝わってしまうことがある。単純に書類をシュレッダーにかけてほしいだけなのに、「この書類をシュレッダーにかけといてください」と言うと「なんか冷たい感情」が伝わる。だから「すいませんが、この書類をシュレッダーにかけておいていただけますか?」みたいな言い回しになる。
でも、英語だったら単純だ。“Please shred the documents.”という言い回しには、何の感情も乗っていない。ただ純粋に「用件・要望」だけが乗っかっているよね。
楽天の社内公用語を英語にしたってのが前に話題になったけれど、これって単に「英語力を鍛える」だけじゃなくって、ビジネスえのやりとりを円滑にする狙いもある気がするんだよね。英語のほうがビジネスの会話は絶対やりやすい。
〜〜〜〜
感情を伝えやすいっていうのはもちろん長所にもなる。普段の何気ない会話の中でさえ、「君のことが気に入っているよ」とか「君のことが気に入らないよ」っていうことが伝えられるからね。
でも慎重に言葉を選ばないと誤解が簡単に生じる。例えば「ご飯食べに行こうよ!」ってLINEしただけなのに、「何?あたしのこと好きなの?困るんだけど」みたいな誤解が出たり、「映画観に行こうよ!」ってメールしただけで「あいつ、絶対俺に惚れてるぜ」みたいな誤解が出たり…なんてのは本当よくあるハナシだよね。
英語で、“Hey, let’s go to lunch.”とか、“I’d like to watch the movie. Shall we?”とかメールで送っただけで、そーいう誤解は(多分)発生しない。会話だったら言い方、声のトーンとかで感情を伝えられるかもしれないけれど、少なくとも文章という形では英語は感情があんまり乗っからないんだよ。
日本語で生活してると、変に感情を勘繰られたり誤解して受け取られたりして、それが時々面倒に感じる。“I wanna go to dinner with you because I wanna do it.”って時でも、それを端的に伝えられない。時折それがとても面倒になる。
〜〜〜〜
まぁでもこれ、私の母国語が日本語だから感じるだけで、ネイティブの英語話者は“Please shred the documents.”にも何かしらの感情を感じるものなのかもしれないけれど。どうなのかなあ。
少なくとも私は英語と日本語、どちらがビジネスに向いているか、と聞かれると「英語」と答える。日本語でやるときはいちいち、言い回しを考えないといけないのが超面倒。
そういえば学生時代、とある大学生が全学生に一斉送信で「○○という研究をしています。下記URLのアンケートに御協力ください。」というような、とーってもシンプルなメールを送っていた。周りの人間は「挨拶がない」「自己紹介もない」「なんて非常識なんだ」と笑っていたけれど、私だけは「用件がめちゃんこ分かりやすくて良い」と思った。能書きが長くて見る気が失せるアンケート協力よりずーっとマシだ。(どうせそんな能書き見ないし。)
私がズレてるのかもしれないけれど、変な感情が伝わるのを避けるために意味のない能書きを書き連ねないといけない日本語はビジネスにはとても使い辛い。
ばいびー☆