フリートークでおハナシ。〜孤独と依存〜

まいど、いおりんでござい。

先日、重たい重たい悩みに一区切りついたな、長いトンネルを抜けたなと思ったイオリンですけれども、トンネルを抜けたらまた先にはトンネルがあった、みたいな。なんか新幹線で東京から関西に行く途中の、静岡辺りのトンネル地獄みたいな。「また携帯電話繋がらんやんけLINE返さなあかんのにむががが」みたいな感じで今を過ごしています。

なので今日もまぁゴールは決めずに書き連ねているけれども、きっとちょっと深いというか重たいというか、そういうハナシをすることになると思う。まぁ「そんな人間もいるんだな、あはは」くらいの気持ちで見てくれればいいよ。

さて。

相も変わらず「なんで生きてんだろ」ってことが頭をよぎる毎日で。四六時中それに悩んで部屋の済みっこで三角座りしてるわけじゃなくって。そういえば私、少年時代はこの三角座りのことを「体育座り」って言ってたんだけど、いやむしろもう「体育館座り」って言っててお前それはもう建物やんけ、って今になって思うんだけれども。まぁずーっと「なんで生きてんだろ」って思ってるわけじゃなくって。

で、私がこう感じる理由って、多分この世界に対して途轍もない「孤独」を感じるからなんだな、と最近気付いた。

別にいじけるでも悲しむでもなく、ただ事実として「あぁ、私って孤独だなぁ」ってすごく思って。というか人間ってのは元来孤独なもんでね。他人とこころをチューブで繋いで人生を共有とかできないわけだ。私は私の感情しか体験できないし、あなたはあなたの感情しか体験できない。

まず「孤独」があって、その周りを何かが取り囲んでる、っていうのが人生であると思ってる。

だからこそ私はずーっと、「孤独」を大事にしてきた。孤独を充実させることがスタート地点で、孤独を充実させていくことで「人間」として成熟していき、誰かと対等に接する事ができる、と。1人の人間として成立することで、依存せず、対等に接することが礼儀と思ってずーーっと生きてきた。

1人で生きていく。その上ではじめて、相手を想うことができるわけで、1人で生きていけない人間が誰かを幸せになんかできないだろうよ。とね。

でも、もしかしたらそれは逆なんじゃないのか、と。1人で生きていけないからこそ、誰かと一緒に生きることができるんじゃないか、と考え始めた。

「孤独」と「依存」は相反するもので、依存しないことには孤独は絶対拭えないのかもしれない。

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私、過去に恋人がいた時代、ものっすごく恋人に依存しまくってて、その事を私はずーっと後悔してきた。依存していた時の私は1人の人間としてはとても未熟だったし、魅力的にも感じなかったと思う。「もう二度と」、そうずっと思い続けてきた。

でも、「孤独」を充実させていけばいくほど、「孤独」は力を増して大きくなっていく。1人で成立させようとすればするほど、1人で成立しない部分が際だって見えていく。そこだけを埋めたいのに、そこだけが1人では埋まらない。卓上に存在しないピースをずっと探し続けるかのようで。

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自分の孤独さを見つめる日々があり、「そうか、これが寂しさか」とまるでロボットのような気付きを持っています。やっぱり1人じゃ寂しいですよ。でも、孤独を高める方法ばっかり身につけてきたから、どうやって抜け出すんだろう、と悩んだりもして。

まぁ冒頭に言った通り四六時中寂しい寂しいと目を赤くしてウサギのように月を見つめてるわけでもないのですけれども。ただ時々、孤独が空から降ってくるのです。

ばいびー☆

夏ってまだ本番きてないんですね。

夏ってまだ本番きてないんですね。