詩のような何かのハナシ。

まいど、いおりんでござい。

最近、一人でこちょこちょと詩のような何かを書きためています。近いうちにどこかで、いわゆる詩集に近いモノを、ブログなのか写真なのかは分からないけれども、公開できる場所を作って公開しようかな、と思います。

「詩」ではなく「詩のような何か」という言葉を選んでいるのは、「詩」というものを全く勉強していないし、ただ自分の中で「この質感を伝えたい」というようなモノがあり、それを言葉を使って表現しているだけなので、私の中で言えば今書いてるブログのエントリとあまり差異はないんだよね。

ただ、こーやって説明したり語りかけたりする言葉よりは、詩のような感じで、どこか飾ったり演技していたりするような言葉を使ったほうが質感を上手く伝えられるんじゃないかな、と思っているだけで。「演技している感覚で日常生活の延長線上を表現する」という意味合いとして、「詩のような何か」だなぁ、と。

まぁめんどいので、以降「詩」って呼びますね。

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この1週間ほどで、詩を書くためにどうすればいーかなぁ、って言うのを色々考えたんだよね。やっぱり手書きがいいのかなぁ、と思って詩を書く専用のノート…いわゆるネタ帳みたいなものを買ってさ。手書きでいくつか書いてみるところからスタートした。

でも、一丁前に語るけれども、詩を書くときってなんか、考えて書くよりも、「降りてくる」に近いんだよね、私の場合。伝えたい質感とキーワードがいくつか降りてきて、「あぁ!これだ!」って思ってその質感を上手く短いフレーズに落とし込んで。その落とし込みにさえ成功すれば、あとは言葉がどんどん引っ張り出されてくるような。

伝えたい質感があっても、言葉が降りてこないと全然書けないし、降りてきたとしても、その降りてきた時の衝動をすぐに形にできないと、霧散してしまう。

だから、手書きよりもパソコンとかのほうがずっと書きやすい。手書きだと、1文字1文字書いてるうちに言葉が消えてしまう。パソコンだったら私は軽くしゃべるように文字を書けるから、パソコンのほうが言葉の衝動に任せて書けるんだよね。

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それに、手書きだと、ネイティブ感、ナチュラル感が強くて、選ぶ言葉に癖が出てくる。どうしても自然寄りで柔らかめの言葉を使いたくなるし、変に感情が乗った言葉を選んでしまう。それに「手書き文字」の質感が出てきて、言葉本来の意味も歪む。例えば「衝動」って言葉も、手書きで書くと随分と柔らかくなる。

一方、パソコンで書くと、多少のデジタル感はあるけれど文字自体は無味乾燥で、だからこそ言葉の意味が浮き彫りになる。「衝動」という文字をパソコンで見ると、手書き文字特有の感情の強さはないけれど、「衝動」という言葉に元来含有されている意味と強さだけが残る。

そういう意味でも、パソコンで書いたほうが正直な言葉選びが出来る気がする。私の場合は、だけどね。

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手書きのノートを使うのは、詩を書いた後だろうな、と思う。詩を書いた後で、「これはどういう形で表現すれば一番いいのか」というところを考えるべきで。その時に「手書きでノートに書く」のか「歌詞にして音楽に乗せる」のか「絵を添えて絵本にする」のか、エトセトラ……が決まるんじゃないかな。

兎にも角にも、近いうちに「詩のような何か集」をWeb上で出そうかなと思います。その時点では作品というよりは雑なモノだと思うから、「詩のような何か」なんだろーね、やっぱり。

ばいびー☆

日本一でかい立像を見に行きました。

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