仕事は「流れ」であり人脈は「水路」だ、ってハナシ。
まいど、いおりんでござい。
さて。
最近思うんだけど、仕事には「流れ」ってモノがある気がする。
例えば、「果物売り」っていう仕事も「流れ」の中のひとつだ。誰かが果物を作り、それを誰かが運び、そして誰かが売る。こーいう「大きな流れ(マクロな流れ)」の中にいる。それと同時に、毎日の仕事が「果物を仕入れて、それを売り、また仕入れて、また売る」という螺旋のような「小さな流れ(ミクロな流れ)」を繰り返している。
会社員なんかは分かりやすい。会社員というのは、会社が作り出している「大きな流れ」の中に乗っている。その中で、毎日いろんな「小さな流れ」の仕事をしている。会社は会社に流れてくる「大きな流れ」に上手く乗り続けるために、会社員を使って「小さな流れ」を回そうと努める。
仕事を続けるということは、「大きな流れ」に乗りつつ、「小さな流れ」を回すことだ。
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フリーになってからよく「どうやって仕事をもらうの?」みたいなハナシを聞く。これに多くのフリーの方々は「結局、人脈だよ」という。私もその通りだと思う。
なぜなら「流れ」は人脈に乗って流れていくからだ。農家は知り合いに果物の運送を頼みたがるし、運送屋は知り合いの果物売りに果物を売りたがる。仕事を「流れ」で表すなら、人脈は「水路」のようなものだ。
だから「結局、人脈だよ」っていうのは、仕事の「流れ」が回ってくるように地道に「水路」を掘り続けるのが大事、って言うことを伝えたいんだと思う。私もそう思うよ。だから将来のために色んな「水路」を掘り続けないといけないよな、と最近は感じている。
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とっても感覚的なことなので同感はしづらいかもしれないけれども、「流れ」の中にも「澄んだ流れ」と「淀んだ流れ」がある。「流れ」が澄んでいると仕事がスムーズに運んでいく。でも色んな思惑や事情が紛れ込んで「流れ」が淀んでくると、仕事がスムーズに運ばないし、流れが終わってしまうこともある。
1つの組織の中でも、一部分だけすごく淀んだ「流れ」を作っている場所があったりする。
一番分かりやすいのは、「女の子にイイトコ見せようと独りよがりのプレーをするサッカー部員」とかじゃないかな。会社で考えてみても、1つの部署だけ自分勝手で他の部署のことを省みなかったりとか、1つの部署だけに仕事が集中し過ぎていたりとか。そーいう事情で「流れ」が淀んでしまうことはよくあるでしょ。
組織内の「流れ」を無視した行動や思惑が増えてくると、途端に組織の流れは淀んでくる。一部から発生した淀みがいつしか組織全体に広がり、組織全体が上手く回らなくなってしまうこともある。澄んだ「流れ」を維持すること、淀んでいる箇所に力を入れて補正することはとっても大事だよ。
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この「流れ」の感覚は上手く言語化するのが難しいけれども、私が色んな物事を成す上で大事にしていることだと思う。もう少し上手く言語化できればまた、エントリにしたいと思います。
ばいびー☆