フリートークでおハナシ。〜生き甲斐なんて生易しいモノじゃない。〜
まいど、いおりんでござい。
今回はフリートークです。先日、お腹を壊してしまいまして、40時間くらい寝込んでいました。いくつか楽しみにしていた予定もキャンセルしてしまいました。嘔気と腹痛で寝れなかったのは数年前の嘔吐下痢症以来だった。今回は実際に嘔吐まではしなかったので症状はだいぶマシだったけどね。
健康を崩すと、「やっぱ健康こそが第一!」って思うよな。実際、健康こそが第一なんだよ。
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さて。腹痛で倒れていた頃に何をしていたかと言うと、昔読んでいた「インタビュー本」を読み返していた。スキマスイッチの本、そしてコブクロの本を読んでいた。
朝日新聞出版 (2014-12-05)
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私、昔っから対談とかインタビューが好きなんだよ。とっても大好きだ。多くの対談やインタビューでは予定調和なんてなくって、ただその場で出てきた言葉がコンテンツになっているわけで。話者の人生観・経験などが凝縮された言葉がついて出てくる。それはとっても濃くて興味深い内容だ。
私はモノ作りが好きだけど、同じくらい、「モノ作りにかける情熱そのもの」が好きなんだな。例えば音楽を聞くにしても映画を観るにしてもゲームで遊ぶにしても、「これを創った人はどーいう想いを持っているんだろう」って考えるのが好きだ。何かを遂げた人、成し遂げようとした人の情熱や人生のハナシは、それだけで一つのコンテンツになるんじゃないかな。
特に大好きなアーティストである「コブクロ」の活動休止に関することや音楽に対する姿勢などが語られたインタビュー本は、何度見ても心を熱くする。
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誰かが人生について語っていると、私はまだまだ自分が熱くなれる場所を探している途中なんだなぁ、と思うよネ。結局、この10年くらいはずーっと「どこで自分は熱くなれるか」を探し続けているんだよね、私は。
中学生頃から「生まれたからには、その他大勢ではなく何者かになりたい。」と思い始め、そこからずーっと、その「何者か」を探し続けている。夢の殉教者に憧れ続けて、その夢を探し続けて今に至っているんだよ、私は。
それは「生き甲斐」なんて生易しいモノじゃなくって。生き甲斐なんて、朝起きてオイシイもの食べて好きな人に会ってよく眠れたら十分感じるからね。「生き甲斐のある人生」とか目標低すぎだね、私からしたら。「生きてて良かった」っていつも感じてるよ。
私が今欲しいのは「生きてて良かった」じゃなくって、「生きなきゃいけない」…言い換えれば、「こんなとこで死ねるか」と思える何かです。それこそが「夢」と呼べるモノだと私は思う。
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スキマスイッチも、コブクロも、それぞれ「スキマスイッチ」という夢、「コブクロ」という夢の殉教者だと思う。彼らは人生を音楽に捧げている。人生における希望や不安、焦り、葛藤等々を全部、音楽に投下している。彼らが普段感じていることが詞と成り曲と成り唄と成り音楽と成る。
そんな彼らの話を見聞きするのは、スゴイと思う反面、「悔しい」と強く思う。それほどまでに人生を燃やせる何かがある他人を見ると、感じるのは「スゴイ」よりも「悔しい」だ。
このブログだって、そんな「悔しさ」が生み出している部分は少なからずあると思う。私の人生の欠片が文章となって表れている。特に「フリートーク」なんてゴールを決めてないんだから「人生の欠片」に大きく期待しているモノだと思う。
それでも足りない。足りな過ぎる。もっと私は熱く燃え上がりたい。日々の楽しさ、何気ない幸せももちろん大事だけど、それだけだと私の人生はどこか冷めきっている気がする。
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「いつ死んでも悔いがないように毎日を生きる」と言うのは私の生きる上でルールにしてることの一つだけれど、最近はそれが、「毎日がそれとなく幸せだから、いつ死んでもいいか」という考えに歪んできつつある気がする。それは「仕方なくただ生きること」と何も違わないんじゃないか。
「自分探し」だなんてクサイこと言うつもりはサラサラないんだけれども。「こんなとこで死ねるか」と思える何か、それがまだ見つからないうちでは、それこそこんなとこで死ねない。
なんつって。
ばいびー☆