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Stay Gold, Ponyboy.

幸せだの豊かさだのは自分がどう意味付けするかということでしかない、ってハナシ。

まいど、いおりんでござい。

先日、知り合いが主催した、ちょっとしたおしゃべり会みたいなのに参加した。テーマは「豊かさ」と広く抽象的なものだったんだけれど、自己紹介とかお互い何してんのかとかを話しながら豊かさについて掘り下げていった。

そんなトークの中、ずーっと考えてたんやけど、私、「人生の豊かさ」とかほぼ考えたことなかったな、と。

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豊かさって、まー曖昧な単語だけれど、定義で言えば「多く持っていること」じゃん。

じゃー人生において「多く持っていること」って何だろう、と考えてみたけれど、これも難しいよね。何を多く持ってるの?お金?モノ?心のゆとり?

例えば、私は最近、気が向いたら砂浜を散歩しているんだけれど、心や時間のゆとりという観点で言えば「豊か」ではあるよね。

でも、時間にゆとりはなくって仕事を追い回す日々だけど、いろんな経験やいろんな出会いがある人は、それはそれで「豊かな人生」な気がするし。心にゆとりはなくても、家に帰って愛する家族と過ごす幸せな時間が過ごせてる人は、「豊かな人生」だと思う。

そーいうことを言うと、「豊かな人生」なんてのは、ただの言葉でしかない気がするよね。 自分がそこにどーいう意味付けをするか、というだけで。それは客観的な指標じゃなくって至極主観的な指標だよね。

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森山直太朗さんの唄「土曜日の嘘」の中で、下記のような一節がある。

生まれてきた意味は 考えないように
どうせ綺麗な言葉しか 浮かばないんだもん

人生の意味だとか、幸福の定義とか優しさだとか、そーいった類の抽象的な言葉は所詮ただの言葉でしかなくって。自分がどーいう意味付けをするか、に依存するから、深く考え過ぎない方が良いと私は思っちゃう。

都会から離れてのんびりと農業をするのが幸せな人もいれば、都会で忙しなくビジネスをしているのが幸せな人もいる。テレビを観て笑っているのが幸せな人もいれば、テレビだけの休日が不幸だと感じる人もいる。

てめーがどう思うか、でしかないよ。地球規模で見たらどうせ意味なんてないんだから。逆に自分で意味付けしていいんだ、と思えばどんな人生だって幸せだし豊かになる。自由ってそーいうことじゃねーかな。

ばいびー☆

ゴルフも、豊かなスポーツと考える人もいれば、縛りが多くて窮屈なスポーツを捉える人もいる。
ゴルフも、豊かなスポーツと考える人もいれば、縛りが多くて窮屈なスポーツを捉える人もいる。

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