自分を未熟だと思い続けてたら価値あるモノなんて追求できないよ、ってハナシ。
まいど、いおりんでござい。今日は晴れていたので鎌倉を散歩してきました。カメラの充電を忘れてげんなりもしたけれど。そんなもんですよね。
さて。今日は仕事に対する「意識」について。
私は、仕事をするとき「自分はプロである」という意識を明確に持っております。これはフリーになる前の、社会人一年目の頃からずーっと意識している。
なぜなら、市場において仕事をする以上、どんな人間も対等であると考えているからです。市場に認められる価値が提供できるならば、熟練度の差に意味は無いからです。
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もちろん、「自分の実力はまだまだダメだ」っていう意識は私にもあるよ。私が現在得意としているITエンジニアリングの能力をとっても、私以上の能力を持っている人はめちゃくちゃいる。デザインでもそーだ。物書きだってお喋りだって、まだまだ発展途上だ。
でもね、仕事…つまり、誰かに価値あるモノを提供して、それと引き換えに対価を頂くんだったら、一旦、「自分は未熟」っていう意識は置いておくべきじゃないかな。
だって、「自分は未熟」なんて思っている人が、自信を持って価値あるモノを追求できると思う?「私は所詮未熟だから、うまく行かなくて当たり前だよ」みたいな言い訳が頭をよぎらない?「私は未熟だから相手の言う通りにしよう」みたいな妥協が生まれないかな。
そーすると、ズルズルと価値のないことに時間を費やすことになってしまう。
本当に価値のあるモノを創ろうと思うんだったら、「私は市場に対して価値を提供できるんだ」という意識をしっかり持たないと。そーやって、自分に対してある程度のプレッシャーをかけて、少しでも価値のある仕事をしようと努力しないと。
そーいう、仕事に対する不断の意識があってこそ、市場に認められるよーな価値が創り出せると思っている。
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私が「まー、なんとかなるっしょ」って思っているのは、別に何もやらなくても上手くいくよーな素晴らしい世界に生きているからじゃないよ。
本当に困難な状況に陥ったとしても、自分で自分にプレッシャーをかけて、どーにかできるという自信があるから、「なんとかなる」って言っているんだよね。
ちょっぴり厳しいよーだけど、困難な状況でも自分にプレッシャーをかけられずに逃げてしまう人は、あんまり「なんとかならない」んじゃないかな。死にはしないだろーけど、困難からも抜け出せないんじゃない?
ばいびー★