お金のやりとりをする覚悟が足りな過ぎるんじゃない?ってハナシ。
まいど、いおりんでござい。
いおりんは常日ごろ、「来月はサボる」とか「忙しくなりたくない」とか言う発言をしているのでよく勘違いされるんだけれど、別に私、仕事が嫌いなわけではございません。
私は仕事も「遊びの一つ」だと思っているので、そーいった遊びとなる仕事はとっても大好きなのだ。そーいう仕事をしているときは、言わば遊んでいるのと同じ状態なので、「忙しい」とか言う感覚にならないんだよね。
ただし、世の中には遊びにならない仕事も山ほどあって、私はそーいう仕事に追われると「超忙しい」とか思っちゃうんだよね。仕事選びに失敗すると、忙しくなる。
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さて、じゃあその「遊びになる仕事」と「遊びにならない仕事」とを分けるモノはなにさ?って聞かれるとめっちゃ難しいんだけれど。これもう、人生の中でなんとか探していくしかないからね。答えが見つからずに一生が終わる可能性もあるだろーしさ。
ただ、私が「これだ!」と思う基準がいくつかあって。そのうちの一つは「プロとしてお金のやり取りをする覚悟があるのか」ってとこです。
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こんなこと言うと「何を当たり前なことを」と思うかもしれないけれど、実はこの覚悟を持っていない人は山ほどいる。「お金を払わなくて済みそうなら払わない」とか「多少のことならお金のやり取りなしで仕事してもいい」という人だ。
少なくともシステム開発の業界として話を聞くと、多くの人が、金を払う覚悟がないように思う。
というか、日本の労働環境が劣悪な理由はここにあるんじゃないかな。
市場を形成する多くの人たちが仕事に対してお金のやり取りを有耶無耶にしちゃうんだよね。だから、市場全体に「ある程度ならお金のやり取りは有耶無耶にされていい」という文化が蔓延してしまう。先日も書いたけれど、「お見積もり」という儀式以外では、お金のやり取りは有耶無耶にしていい文化が存在している。
もはや市場全体で、「対価とは多少、有耶無耶にされるもの」ということがジョーシキになってるから、そこで「いやいや、それは追加の仕事でしょ」って言い出すと、悪人のような扱いをされる。「なんで有耶無耶にされることを考慮してお見積もりの儀式に臨まなかったの?」ってなる。
しかもこの特性を利用して、限界まで追加の仕事を有耶無耶で終わらす冗談みたいな人もいーーっぱいいる。だからフリーランスとして生きるには、常に「これ以上、有耶無耶にされてはいけないラインを見定める能力」とかも求められちゃう。
でも、これってルール違反です。そりゃ経済も落ち込むでしょ。
少なくとも私はそーいうことをされると「お前の仕事に対してお金を支払う価値はねーよ」って言われてるよーにしか思えないよ 1。そんな人と仕事して、クオリティの高い仕事や遊びになる仕事が、できるわけないでしょ。
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私も友人とかには格安で仕事をすることはある。でも、それでも「いやいや、その対価はつり合わないでしょ」って思うよーな仕事は引き受けない。つり合わない理由を述べて、納得していただけないようなら、無かったことにするしかない。
私には(少なくともシステム開発においては)お金を頂いてやる覚悟がある。それに対してお金を支払う覚悟を頂けないなら、きっとクオリティの高い仕事はできない。
ばいびー☆
Notes:
- 最近読んだはぁちゅうさんの書籍にもあったけれど、「あなたの本を買いたいけれどお金がありません!」って言うのは、「お前の本になんか金は出せねーよ」って言ってるよーなもんです。よく分かる。 ↩