電話とかインターネットを発端に考える「再現型ワープ装置」のハナシ。
まいど、いおりんでござい〜。
現状、物体の転送っていうのはある程度のレベルなら実現できています。
電話とかインターネットの発想って、「音声やデータを相手に届けなくても、同じようなものを相手の手元に作り出せば同じじゃん!」っていう発想だよね。YouTubeとかで動画とかが届くのって、動画作成者の手元にある動画と同じモノを、それぞれ視聴者の手元で改めて作り出しているシロモノ。テレビとかラジオ、FAXとかもそうだよね。
電波で送れているものはあくまで「作り方」だよね。そして、テレビやパソコンは、それを手元で作り出すツールなんだよね。
これと同じ方法で物体の配送を考えると、プレゼントしたいモノを手元で作り出せるツールが出てくれば、「物体転送装置」ができあがる。格好良く言えば「ワープ装置」だね。物体の作り方をスキャンできる「物体スキャナ」と、それを再構築できる「3Dプリンタ」のペアがあれば、それはもうワープ装置になるんだよ。
例えば「お母さんにお花を贈りたい」って考えた際に、そのお花の情報を作り方をスキャンして、その情報をお母さんの手元にある3Dプリンタでお花を再構築すれば、それはもう「ワープ装置を使ってお花をお母さんに転送した」ということに他ならんわけですな。
最近は3Dプリンタの発展もすごいよね。2013年には「3Dプリント銃」なるものが世に出ているし、3Dプリンタを通じて色んなものを手元で再構築できるようになっている。このまま行けば、3Dプリンタでバイオテクノロジーを扱う日も来るかもしれない。
この、いわゆる「再現型」としてのワープ装置は、私が生きている間には何かしら形を見せてくれそうで、とっても楽しみだね。
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ちなみに、この「再現型ワープ装置」の考え方を踏襲した物体転送は2015年現代、実際にみんなの身の回りにも既に存在しています。
銀行のATMは、お金に特化した「再現型ワープ装置」の1つ。
銀行ATMは、「それぞれのATMの中にお金をいっぱい入れておくことで、どんな場所でもお金を取り出せるようにした機械」でしょ。再現型ワープ装置とほぼ同じコンセプトだよね。厳密に言えば違うお金だけど、実質ほぼ同じモノを一瞬でワープできるのが、あの銀行ATMという仕組みなんだよね。
再現型ワープ装置の重要な要素は「厳密に言えば違うけど、実質ほぼ同じ」というところ。ここに着目すると、電話は音声ワープ装置だし、銀行ATMはお金ワープ装置だし、3Dプリンタは素材を限定したワープ装置だよね。
そして、もし「分子を取り扱う3Dプリンタ」ができれば、完全な再現型ワープ装置ができあがるわけです。
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ただ、完全な再現型ワープ装置ができたときに問題になるのは、「でも厳密には違うよね?」というところ。
音声だとか、動画とか、お花だとか、お金だとか、っていうのは「厳密に違うけど別に良いよね」ってなるけど、それがもし「自分の娘」だったら?「恋人」だったら?「宇多田ヒカルさん」だったら?
「厳密には違う部分」…具体的に言えば、「意志」とか「自意識」とかが決定的に違うかもしれないんじゃないの?もしワープ装置で恋人が家に来てくれたとしても、その恋人は本当に私の知っている恋人なの?厳密に言えば、その恋人は超未来型3Dプリンタでたった今生み出された恋人で、1年間一緒に過ごしてきた恋人とは違うんじゃないの?
ってハナシ。自意識とかそーいう哲学的なハナシがいよいよ人間生活に影響してきちゃうんだよね(多くの哲学者がお手上げなテーマなのに)。
更に、クローン人間問題と同じ哲学的な倫理問題も付きまとう。だって、超未来型3Dプリンタを悪用すれば同じ人間をいくらでもつくり出せることになっちゃうんだし。
こっちなんかは、「クローン人間は人間なの?人間じゃないの?(人権はあるの?)」っていう問題だから、余計に難解だよね。成り行きによったら、「ワープ装置で転送された人間には人権がない」とか全く意味の分からない状態になっちゃうしね。
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現状の再現型ワープ装置の発展の先には、「実質違うのに転送させてもいいの?」という根本的な問題に、いつかぶつかるわけです。命がないならOK?家畜ならOK?ペットは駄目?その基準は?難しいねー。
今日はこの辺で。ばいびー☆