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隣の芝は青い

僕の周りには,色々な人がいます.

その人たちは,それは素晴らしい人生を生きていると僕は思っています.
吹奏楽部や混声合唱部の部長として奮闘した人.
就活で死にたくなるほど頑張った人.
自分の趣味を突っ切って,色々飛び回っている人.
仲間を集めて,大きなことをしようと動いている人.

そういう人たちは,往々にして輝いて見えます.実際輝いているんでしょう.
何かしらのドラマを持っている人は輝いているものです.
そして,どんな人でも何かしらのドラマを持っていると思います.

ところが,いざ自分を見てみると,全然輝いて見えないんですね.
自分は何も持っておらず.何も面白くない人間じゃないか.
最近そんな風に考えることがありました.

隣の芝は青いというのはまさにその通りで,
先ほどの人物たちに,「僕は何も持っていないのに凄いよ!」と言うと,
みんな次のように言うんです.

「いやいや,イオリンのほうが凄いよ!自分なんか全然だよ!」

そこで僕も言うわけです.

「そんなことないよ!僕なんか何もないよ!」

実際は関西弁ですが,このような会話をいくらか交わした気がします.
僕にとって彼等の芝が青く見えるのと同じように,
彼等にとって僕の芝が青く見えるようです.

これは,「隣の芝が青い」のではなくて,
「青い芝しか見えていない」のかもしれないな,などと最近思っています.
そして,僕は自分の澱んだ芝ばかり見て,青いところを見ていないのかもしれません.

他人の生き様を芝に例えたとして,それが1色で表せるわけがない気がします.
僕が色々生きてきて,色々考えて今に至るのと同じように,
彼等も色々生きてきて,色々考えているはずです.

それを,「青い」なんて一言で表すのも何か変なハナシだなぁ,と思うのです

今でも,自分の芝は全部澱んでいると思っていますが(笑