自分が「努力好き人間」になれる方向を探そう、ってハナシ。
東進ハイスクールと「いつやるか、今でしょ」で有名な林 修氏で、有名な言葉がある。
「正しい場所で、正しい方向で、十分な量なされた努力は裏切らない。」
「とにかく突っ走っていれば、いつか報われる」と思っている人が多くないかな。
これは当たり前で、私たちはそーいう教育をずっと受けてきたもんね。教育だけじゃなくても、テレビドラマや美談としても、「どんな努力も無駄にならない」という価値観は、当然のようにありふれていた。
逆に、成功しない理由は努力が足りないからだ、もっと努力すべきなのだ、という価値観も当然のように思われているよね。だから、「落ちこぼれ = 努力していない人」という扱いがされる。「例え辛いからって、努力から逃げていると落ちこぼれになるぞ」といった価値観が、日本では当たり前のようになっている。
この考えが罷り通っている理由は、「日本が高度経済成長期にあったから」じゃあないかな。要するに、一昔前は本当に、「何でもかんでも努力したら報われていた時代」だったんだと思う。
進むべき方向は明確だったし、とにかく色んなモノ・コトが不足していたからね。明後日の方向に努力していたとしても、ソレを必要とする場所がどこかにあった。
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ところがぎっちょん。今の日本は低成長期とも言えるような状態にあるよね。モノはありふれているし、人材不足の業界だったり限界集落だったりはあれど、人口過多と言われている。機械の台頭で人間がするべき仕事量も減りつつある。
要するに、「人が足りてる時代」なわけです。そんななか、「とにかく突っ走っていれば報われる」なんて言っているのはちょっとズレてる。「キミが突っ走った方向はもう、他の人がいっぱいいるから要らないよ」と言われる可能性が、一昔前に比べて段違いに大きいわけ。
これから必要になるのは、冒頭に挙げた林 修氏の努力論。「正しい場所、正しい方向で努力しよう」っていう観点。
よーするに、「私はどうなりたいの?」「そのためには、どう努力したらいーの?」「何を自分の価値としたらいーの?」としっかり考えて、行く先を決めること。ただ突っ走るのをやめて、たまには立ち止まって頭を使って考えること。
そーいうのを考えないと、頑張りは報われない。望む形を見定めないと、望む形は見えてこないのだ。
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ちなみに、林氏は「努力を努力と思わないほどに、 努力をすることが当たり前。」という言葉も発している。
私は、「私は努力してるのに…」なんて思っている時点で、その方面に対して才能がないんだと思っている。努力なんてのは、「好きだからその方向に進んでいるだけ」っていう状態が一番スバラシイからね。楽しんでいる時が一番パフォーマンス出るしね。
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自分が「これなら“努力好き人間”になれる!」って思う方向を見つけるのが、一番良いと思う。例えどんなことだっていい。別にゲームだって遊びだって何だっていい。それを見つければ、「それで生きていくにはどーしたらいーかな」と考えてみる。
梅原大吾 1氏はゲームという方面において“努力好き人間”になれたからプロゲーマー。イチローは、野球という世界において“努力好き人間”になれたからプロ野球選手。全部一緒。
別にそれを考える時点が30歳前後だろうが50歳前後だろうが関係ない。遅すぎることなんてないよ。人生、肝心なのは「今」だけだからね。
ばいびー☆
Notes:
- 日本初のプロゲーマー。世界でもトップレベルの実力を誇り続ける。 ↩